狂人もまた走るというのが、この晩の甲府の町の巷《ちまた》の有様でありました。段々《だんだん》の襟《えり》のかかった筒袖を一枚|素肌《すはだ》に着たばかりで、不死身《ふじみ》であるべく思わるる米友はまた、寒さの感覚にも欠けているべく見受けられます。
「やっしし、やっしし」
 米友はこういう掛け声をして極めて威勢よく駈け出して行きました。どこへ行くのだかその見当はつかないながら、その口ぶりによって見れば、いま破牢のあったことを彼は心得ているのであります。
 こうして駈けて行く米友が、途中で不意に、
「あ、あ、あぶねえ!」
と言って、弁慶が七戻《ななもど》りをするように後ろへ退《すさ》って、肩に担いだ棒を斜めに構えて立ちはだかったのは、奇妙であります。
 もちろん、そんなような晩でありましたから、先に何の敵が現われて、何のために米友が不意に立ちどまったのだかわかりません。ただ立ちどまって棒を構えた米友の権幕《けんまく》を見ると、それは冗談でないことがわかるのであります。
 担いだ時は棒であるけれども、構えた時は槍でありました。宇治山田の米友はこの時、冗談でなく槍をとって、それを中段に構えて待《まち》の位に附けたのは、正格にしてまさに堂に入れるものであります。一口に米友と言ってしまえば、お笑いのようなものだけれども、ひとたびこうして本気になって槍を構えた時の米友は、また尋常の米友ではありません。しかしてこの米友は、曾《かつ》てこういう正格な構え方を、咄嗟《とっさ》の間《かん》に見せたことは幾度もありませんでした。
 東海道の天竜川のほとりの天竜寺で米友は、心ならずも多勢を相手にして、その盗人《ぬすびと》の誤解から免《のが》れようとしました。その時は遊行上人《ゆぎょうしょうにん》に助けられました。
 甲州街道の鶴川では、雲助どもを相手に一場の修羅場《しゅらば》を出しました。その時は彼等をばかにしきって、乱雑無法なる使い方をして荒れました。この間は折助と、あわや大事に及ぼうとした途端に、屋根へ上って巧みに逃げてしまいました。
 今や、その時のような放胆な米友ではありません。
 待《まち》の槍には懸《かかり》の槍が含んでいるのであります。その両面には磐石《ばんじゃく》の重きに当る心が籠《こも》っているのであります。不思議なる哉《かな》、ほとんど師伝に依ることなき米友は、三身三剣の
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