んな魚でも食えるんだけれど、この甲州という山国へ来ては、たとえ、目刺にしてみたところが容易なもんじゃねえんだ、昔信玄公が北条と軍《いくさ》をした時分によ、小田原の方から塩を送らなかったものだ、これには信玄公も困ったね、海のねえ国で、塩の手をバッタリ留められてしまったんじゃあやりきれねえ、それを越後の謙信という大将が聞いてよ、おれが信玄と軍をするのは、弓矢の争いで塩の喧嘩じゃねえ、土や城は一寸もやれねえが、北国の塩でよければいくらでもやると言って、度胸を見せたのは名高え話だ。だからお前、いま目刺を持って来るにしたところで、駿河《するが》の国から呼ぶんだぜ。これから駿河の海辺へ出るのには三十里からあるんだ、その間を生肴《なまざかな》が通う時は半日一晩で甲府へ着くから大したものじゃねえか。その半日一晩で着いた生肴の方はなかなか俺たちの口にゃあ入らねえ」
といって小林文吾は、経木皮包を開いて火箸を横にしてそれを炙《あぶ》ろうとすると、見ていた米友が、
「おっと待ってくれ、酒はいいけれど肴の方はよしてもらいてえ、酒は神様も召上るけれど、まだ目刺を八幡様が召上ったという話は聞かねえからな」
「なるほど」
小林は米友の理窟に伏して、強いて目刺を焼こうともしません。
「このごろは世間が騒がしいからな」
ややあって小林は、何ともつかずにこんなことを言いました。
「ははは、世間が騒がしいというのは、あの辻斬のこったろう」
「うむ」
米友が存外平気なのを見て、小林は眼を丸くしました。
「十日ばかり前の晩にこの松山の向うで一人|殺《や》られたんだ、そいつが殺られた時は俺らは、まだこの八幡様へ奉公に来ていなかったんだ。この辻斬というやつは甲府に限ったことはねえんだ、江戸へ行ってみねえ、このごろはあっちこっちでずいぶん流行《はや》っていらあ」
「そんなものに流行られてはたまらねえ」
と小林は額を押えました。
「甲府へはまだ流行って来ねえけれども、江戸でも天誅《てんちゅう》というやつが流行り出してるのだ。天誅というのは、金持やなんかで太《ふて》えことをした奴を踏んごんで行って斬っちまって、その首を曝《さら》したりなんかするんだ、なかには前以て高札を立てて脅《おど》しといて斬る奴なんぞもあるんだ。なんでも薩摩の奴がいけねえんだそうだ、薩摩っぽうが天誅をやりやがるんだ。ナーニ、名前は天誅でその
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