そこへ駈けつけたのはその後のことであります。

 駒井能登守は有野村の馬大尽のところから帰り道に、
「一学」
と言って若党の名を馬の上から呼びました。
「はい」
「あの犬を大切にしていた娘を、そちは見たような女と思わぬか」
「はいはい、そのことでござりまする、私もそのように申し上げようかと存じておりましたところでござりまする」
「何と思うていた」
「遠慮なく申し上げてもよろしうござりましょうか」
「遠慮なく申してみるがよい」
「左様ならば申し上げてしまいまする、あの女の子は奥方様に生写しでござりまするな」
「そうか、拙者《わし》もそう思うたからそちに聞いてみた」
 能登守は莞爾として一学を顧みました。
「左様でござりまする、奥方様より歳は二つ三つ若いようでござりまするが、あれで奥方様と同じお作りを致させますれば、全く以てわたくしたちまで見違えてしまうでござりましょう」
「その通りじゃ」
 そうして馬を打たせて、御勅使川《みてしがわ》の岸を東へ歩ませて行きました。
「殿様」
「何だ」
「あの、奥方様はいつごろ、こちらへお見えになりまする」
「それはいつともわからん」
「御病気の御容態《ごようす》は、いかがでござりましょうか」
「別に変りはないようじゃ」
「一日も早くお迎え申したいと、家来共一同、そのことのお噂を申し上げない日とてはござりませぬ」
「年内はむずかしかろう、年を越えてもことによると……」
「来春になりますれば、ぜひお迎えに上りとう存じまする」
「あれもこっちへ来たいと言って、いつの手紙にもそのことを書いてあるが、あの身体では覚束《おぼつか》ない故に留めてある」
「殿様も御心配でございましょうけれど、奥方様もさだめてお淋しいことでございましょう、どうか早くお迎え申したいものでござります」
「一学」
「はい」
「あの栗毛を受取りに行く時、あの女にも何か物を遣《つか》わしたいものじゃ」
「左様でござりまする」
「あの犬のために怪我をせずに済んだのじゃ、犬と持主に心付けを忘れぬように」
「しかるべきものを調《ととの》えまするでござりましょう」
「その時に、一応あの女の身の上を聞いてみるがよい、もし邸へ来るような心があるならば、伊太夫へ話をして呼んでみてもよい」
「はい」
 一学は主人が、あの女のことを親切に思うていることに気がつきました。

         六

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