人はただ西洋の知識を多少心得ているというだけのことで、実務にかけてはいいかげんの無能者で、時々調子をはずれたところで思い切ったことをするから、危なくて仕方がない、腫物《はれもの》に触《さわ》るようなこのごろの外国向きのことに、あんな青二才を使えるものではない、甲州の山の中へ入って、摺《す》れからしの勤番の中で揉《も》まれて来るのが身のためだ」
これは駒井を多少けむたがっている老成者の間から出る評判でありました。とにかく未知数の人間だけれども、どのみち、まだまだ叩き上げなければものにならないという嫉悪《しつお》と軽侮《けいぶ》とそれから、幾分か敬畏《けいい》の念も入っているのであります。
そうかと思うとまたこんな一説もあります。幕府は駒井の人物を見抜いてワザと甲府へ納めるのだ、甲府は天険であって、まんいち徳川幕府がグラつき出す時は、そこが唯一の根城となる、まんいちの場合をおもんばかって、駒井を遣《つか》わして地利や兵備を調べさせておくのだと。これもまた駒井贔屓の者の臆想《おくそう》でありました。
またその他の一説は、駒井能登守が甲州入りをするようになったのは、高島四郎太夫に関係することである、駒井は早く四郎太夫に就いて洋式の砲術を研究したり、西洋の事情を調べたりしたから、高島と同じような嫌疑《けんぎ》でこの左遷を蒙《こうむ》ったのだと。これも駒井崇拝の若い人々の口から洩れて来るのでありました。
高島四郎太夫(秋帆《しゅうはん》)が幕府から怖れられたのは、他の勤王家の連中が幕府から怖れられたのとは全く違います。秋帆には大藩を動かして権力を争ってみようとか、砲術を研究してそれによって虚名を博そうとか、そんな野心は少しもなかったものであります。国内のことに空《むな》しく慷慨悲憤《こうがいひふん》している連中などの、梯子《はしご》をかけても及ばないところにその着眼と規模とがあって、長崎の微々たる小吏でありながら、諸侯の力を借りずに独力でもって大事を行うほどの実力を持っていたから、それで怖れられたのです。けれどもその秋帆とても、もう罪(?)を赦《ゆる》されて、江川太郎左衛門を助けていろいろ熱心にその研究をつづけている時分のことであったから、なにもいまさらその祟《たた》りが駒井能登守へ報《むく》って来るという理由はないことなのであります。
とにもかくにも、こんな風評の間に送られて、行先ではまた神尾あたりの、あんな悪感情に迎えられて甲府へ乗り込む若い支配の前途も多事でないことはありません。
その行列は存外|手軽《てがる》で、僅かに与力同心と小者の類《たぐい》と同勢十人足らずで、甲州街道を上って行きました。
甲府の城内へも、いつ出かけていつ到着するという沙汰なしに出かけましたから、出迎えの来るべき模様もありません。
駒井能登守は若くてそうして美男でありました。大森か川崎あたりまで遠乗りをするくらいの心持で、陣笠をかぶり馬乗袴を穿《は》いて、十人足らずの一行と共に駒木野《こまぎの》の関所へかかって来ました。
関所の役人も実は驚いたくらいで、今ごろ不意に勤番支配がおいでになろうとは思いませんでしたから、多少|狼狽《ろうばい》してこれを迎えました。能登守はその関所へ暫らく休息して、関所役人から附近のはなしなどを聞いていました。
その時ちょうど駕籠《かご》で乗りつけて来た一人の女が、駕籠から出て関所の前へ通りかかりました。
「これこれ、其方《そのほう》はどこへ行く」
関所役人が呼び止めますと、その女は、
「甲府の方へ参りまする、どうかお通し下さいまし」
「手形を持っておるか」
「はい、持って参りました」
女は鼻紙袋を出してその中から、一枚の厚い御手判紙《おてはんがみ》の畳んだのを役人の前に捧げますと、
「ええ、其方《そのほう》は女軽業の芸人を引連れ……かくと申す女であるな」
「左様でござりまする」
「このお手形には二十余人の一座と書いてあるが、その者共はどこにいる」
「それはあとから参りまする」
「待て待て、このお手形の日附が違う、エーと、其方は今より三月ほど前にこの関所を越えて甲府へ出たことがあるように覚えているが、これはその時の手形だな」
「ええ、その……」
「ならん、斯様《かよう》なものは用向の済み次第お上へ御返納申さねばならん、これを以てお関所を通ることは相成らん」
「では、そのお手形では通れないんでございますか」
「左様」
「それではお書換えを願いたいものでございます、急に甲府まで参らねばならないんでございますから」
「ばかなことを言うな、そう急に書換えなどができるものではない、江戸表へ立帰って相当の手続を踏んでお願い申せ」
「そんなことをしてはおられません、わたしの連合《つれあ》いが甲府にいて、急にわずらいついて、大へん危ないのでございますから、どうぞ、お通しなすって下さいまし、お手形は古うございますけれど、この通り少しも怪しいものではございませぬ」
「怪しい者であろうともなかろうとも、拙者はお関所を預かる役目、手形のない者は通すことならぬ」
「それではわたしが困ってしまいます、もし連合いにでも亡くなられてしまったら、わたしは死目《しにめ》に会えないじゃございませんか、助けると思ってお通し下さいまし」
「わからぬことを申すな、其方《そのほう》の事情がどうあろうとも、お上の御法を曲げるわけには相成らぬ」
「それでもせっかくお江戸からここまで来たものが、どうしてまたお江戸へ帰られましょう、ほんとにこうしている間も気がせくんでございますから、お通しなすって下さいまし、女一人ぐらい通して下すったっていいじゃありませんか、お目こぼしということもあるじゃございませんか、どうぞお頼み申しますよ」
この女は女軽業の頭《かしら》のお角でありました。お角は一生懸命に役人に頼み込んでみましたが、許さるべくもありません。
「くどい! この上かれこれ申すと処分致すぞ」
役人は言葉を荒くして叱りつけます。
「おや、これほどにお願い申すのに判らないお役人だこと」
「何を申す」
お角があまり強情だから、役人は立って抓《つま》み出そうとしました。
縁に腰をかけて見ていた駒井能登守が、
「これこれ松浦」
用人を呼びました。
「はい」
「あの女、血迷うているようじゃ、其方が行ってもと来た方へ追い返してやれ」
と言って、能登守は扇を持って指図をしました。能登守が元の方へ追い返してやれと扇で差し示した方向は、女がもと来た江戸の方ではなく、これから行こうという甲府の方でありました。
松浦はそれを心得たようにズカズカと女の傍へ来て、
「これ女、お関所の前で左様なことを申してはならぬ、早く立帰って出直して参るがよい」
と言って、女の手を取ってグングンと引張り出しました。
「これほどにお願い申してお聞き入れがなければそれまででございます、もし連合いが甲府で亡くなるようなことになれば、わたしは江戸へ帰って親類の者やなにかに面《かお》が会わされませんから、ここで死んでしまいます、お関所の前で死んでしまいます」
「さてさて女という者は聞入れのないものじゃ、死にたくば他へ行って勝手に死ね、お関所を汚《けが》すことは相成らぬ」
無理無体に引張り出されたから、女の力で争うことはできません。
「ほんとに口惜しい、わからないお役人だ、わからずや」
お角は引摺《ひきず》り出されてしまいましたけれど、その引摺り出されたところは意外にも甲州口でありました。
「愚者《おろかもの》め」
ポンと関所の外へ突き放されて腰が砕け、暫らく起き上れないでいたが、起き上った時分に気がついてお角は喜びました。
「ああ、わかった、あの若い殿様が粋《すい》を利かして下すったのだ、もと来た方へと言って、ワザとわたしを甲州口の方へ突き放すように、御家来の方に指図をなされたものを知らずにお怨《うら》み申したわたしは、やっぱり女だから馬鹿だね。殿様、有難う存じます、あとでお礼を申し上げまする」
お角は起き上ってお関所の方へ向いてお礼を言いました。
それから大急ぎで甲州の方へ歩いて行きました。
がんりき[#「がんりき」に傍点]に出し抜かれてしまったお角は、こうして前後の考えもなくそのあとを追いかけて来ました。お角にとっては、がんりき[#「がんりき」に傍点]がそれほどに可愛ゆいわけではなく、お絹という女が憎らしくてたまらないのです。あんな古証文を突きつけて人をばかにした上に、またがんりき[#「がんりき」に傍点]と一緒になってこれ見よがしの振舞でもされた日には、意地も我慢もあったものではないのですから、お角はあとを追っかけて来ました。
腕こそ一本落したけれど、足の方に変りのないがんりき[#「がんりき」に傍点]の歩きぶりは、到底お角の足を以て如何《いかん》ともすることはできません。ましてがんりき[#「がんりき」に傍点]の方は変則な道を通り、裏道を行くのは慣れているから、お角が追いかけてみたところで到底ものにはならないけれども、どのみち行く道筋は甲州街道で、落着くところは甲府、先へ行ったのは女連、途中どこかで追いつかなければ、甲府で落ち合う。その時は、がんりき[#「がんりき」に傍点]とあの後家様をつかまえて、思う存分荒れてやろうと、例の如く懐中には剃刀《かみそり》なんぞを忍ばせて、駕籠を飛ばせて来たわけです。
幸いにうまくお関所が抜けられたけれど、これから先がほんとうの難所、女一人で通れるはずの道とも思われません。
お角が一人で小仏《こぼとけ》の方へ行ってしまってから、駒井能登守の一行がこの関所を立って同じ方向に出かけました。
関所で駕籠乗物の用意をするというのを謝絶《ことわ》って、やはり馬で行きました。険岨《けんそ》な道へかかったら馬から下りて歩くと言って出て行きました。
小仏の宿《しゅく》から峠まで二十六丁。
「しかしあの女は愚かな女じゃ、駒木野を越えたからとて、まだこの先に上野原の関所もあれば、駒飼《こまかい》の関所もある、関所よりもなお難渋な、小仏峠というものもあれば笹子峠というものもある、これを知ってか知らずか、女一人で甲府まで乗り込もうというのは、大胆と言おうか、愚かと言おうか」
これを話のはじめに、与力同心のなかでいろいろの話が持ち上りました。
「いや、あれは真実、亭主の病気を思うて出かけて来たのかどうかわからんが、とにかく何か思い込んで来たような女である、あんなのが何か思い込むと大胆なことをするものじゃ」
「左様、女軽業の元締《もとじめ》とか言いおったが、彫物《ほりもの》の一つもありそうな女じゃ、しかし悪党ではないらしい」
「悪党ではあるまいが、悪党に変化しそうな女である、あれが悪党になると鬼神のお松といった形で、この峠の上などに住みたがる」
「いや、そういうことはあるまい、あんなのはまかり間違って亭主を剃刀で切るとか、胸倉を掴んでギュウと締めるといった程度で、それ以上のだいそれたことはできまい。むしろ平常《ふだん》は内気でおとなしく、口も碌《ろく》に利かないような女が、時とすると大胆なことをする」
「それはどっちとも言い兼ねる、女はハズミ一つであるから、そのハズミの具合によっていかなることをやり出すかあらかじめ断わりはできない、女そのものの性質というよりも、時のハズミが女を賢婦人にしたり毒婦にしたりする例《ためし》が多い」
「それも一理はあるようじゃ。しかしそれではハズミというものをあまり重く見過ぎたきらいがある、いかにハズミが附いたからとて、政岡《まさおか》が、鬼神のお松になることはなかろう」
「性質にもよりハズミにもよる、罪はその両方にあると見るのが穏当であろう。明智光秀《あけちみつひで》の如きも、信長公があれほどの短気でなかったならば、謀叛《むほん》はしなかったであろうが、たとえ信長公が短気であったところで、光秀そのものに謀叛気がなければ、あんなことにはならぬ」
「要するに鐘と撞木《しゅもく》の間《あい》が鳴るというところで、我々共の役目においてもそ
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