入りまする」
「今、斯様《かよう》な手紙を持たせてよこした者がある、女連で宿がなくて困却すると書いてある、急いで泊めるようにしてもらいたい」
「恐れ入りました、お言葉に甘えましてそのように取計らいを致します」
主人は畏《かしこ》まって出て行きました。
まもなく本陣の主人が迎えに行って、そうしてお絹の一行を案内して来ました。米友もまたお絹一行について案内されて来ました。お絹の一行といっても、それは米友のほかにはお松があるばかりでした。お絹は例の通り町家の奥様のようななりをしていました。お松は御守殿風《ごしゅでんふう》をしていました。
この二人が駕籠から出た時には、さすがに泊っている人の目を驚かせました。与力同心の面々なども、この思いがけないあい宿《やど》の客の奥へ通るのを目を澄ましていろいろに噂の種が蒔《ま》かれました。あれは能登守殿の親戚の者だろうと言う者もありました。いや御支配の夫人……にしては少し老《ふ》けている――というものもありました。江戸から連れて来たのでは人目もうるさいし、人の口もあるから、わざと道中を別にして、この辺で落ち合う手筈で来たのだろうと考えるものもありました。そんなはずはないというものもありました。能登守はそういう性質《たち》の人ではないと弁護をするものもありました。
甲州道中で、山を見たり雲助を見たりしていた眼で、二人の女を見たから、目を驚かせることがよけいに大きかったと見えて、暫らくはその噂で持切りでした。そうして結局は、その何者であるかを突留めなければならない義務があるように力瘤《ちからこぶ》を入れたものもありました。けれどもこの水々しい年増と美しい娘とが奥へ通ったあとで、一同は吹き出さなければならないことに出会《でっくわ》してしまいました。
それは二人につづいて米友がのこのこと入って来たからであります。笠を取るまではそんなに眼につかなかったけれども、笠を取って見ると米友の剃立《そりた》ての頭が、異彩を放っていることがよくわかるのであります。剃立てといえば、青々としてツルツルしたように考えられるけれど、米友のはよく切れない剃刀《かみそり》で削《けず》ったのだから、なかなかテラテラ光るというわけにはゆかないのです。ところどころに削り残された鉋屑《かんなくず》が残っているのであります。けれども当人は、やむを得ないような面《かお》をして二人につづいて上り込んで来たから、誰もそれを見て吹き出さないわけにはゆきませんでした。
「兄さん、お前の頭を見て皆さんが笑っていますよ」
お絹は振返って米友の頭を見て、自分もおかしくなって口を袖で隠しました。
「でも家ん中で笠を被《かぶ》るわけにはいかねえ」
といって米友が不平な面をしましたから、お松はそれがまたおかしくって笑いました。
能登守の一行は「なるほど、こいつだな」と思いました。昨日、鶴川での出来事を知っているだけによけいにおかしくなります。
「生《は》え揃《そろ》うまで頭巾《ずきん》でも被っていたらいいでしょう」
「鶴川の雲助の野郎が、こんなにしやがった、ほんとに憎らしい野郎共だ」
米友は口の中でブツブツ言って、自分の頭をこんなにした雲助どもを呪《のろ》います。
米友は、お絹とお松とがいる次の部屋へ陣取り、お絹お松の部屋と中庭を隔《へだ》てたところがすなわち駒井能登守の部屋であります。
お絹は取敢えず御都合を伺った上で、能登守のところへお礼を申し上げに行ってきました。
能登守は快《こころよ》くお絹と対談して女連の道中を慰めたりなどしました。駒井の許《もと》を辞して帰ってからお絹の胸には、駒井能登守を対照としての一つの心持が浮びました。
甲府へ行けばこの人は、自分の元の主人の神尾主膳の上へ立つ人だと思いました。同じ旗本でありながら、一方は支配する人、一方は支配される人とお絹は思いました。
そうして、自分よりも年が若いし、神尾よりもまた若い駒井能登守の幅が利くのかと思うと憎らしくなりました。なんとかしてやりたいという気になりました。
お絹の思うには、けっきょく男は脆《もろ》いものであるということでした。まだ三十前後の能登守、たとえ相当の学問や才気があったところで知れたものである。固いということは、女に接する機会がない間に限ったことで、相当の手練《しゅれん》を以てすれば、男は必ず色に落ちて来るものである。固いようなものほど落ちはじめたら速度が強いということが、お絹の日頃から持っている信念でありました。だから駒井能登守が、いま甲州道中を、飛ぶ鳥を落す勢いで練って行く時に、これをどうにかしてやりたいということは結局、お絹が持っている唯一の信念から出立するということに帰着しますので、大へんやかましいことです。
駒井能登守に会ってお礼を言ってか
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