入りまする」
「今、斯様《かよう》な手紙を持たせてよこした者がある、女連で宿がなくて困却すると書いてある、急いで泊めるようにしてもらいたい」
「恐れ入りました、お言葉に甘えましてそのように取計らいを致します」
 主人は畏《かしこ》まって出て行きました。
 まもなく本陣の主人が迎えに行って、そうしてお絹の一行を案内して来ました。米友もまたお絹一行について案内されて来ました。お絹の一行といっても、それは米友のほかにはお松があるばかりでした。お絹は例の通り町家の奥様のようななりをしていました。お松は御守殿風《ごしゅでんふう》をしていました。
 この二人が駕籠から出た時には、さすがに泊っている人の目を驚かせました。与力同心の面々なども、この思いがけないあい宿《やど》の客の奥へ通るのを目を澄ましていろいろに噂の種が蒔《ま》かれました。あれは能登守殿の親戚の者だろうと言う者もありました。いや御支配の夫人……にしては少し老《ふ》けている――というものもありました。江戸から連れて来たのでは人目もうるさいし、人の口もあるから、わざと道中を別にして、この辺で落ち合う手筈で来たのだろうと考えるものもありました。そんなはずはないというものもありました。能登守はそういう性質《たち》の人ではないと弁護をするものもありました。
 甲州道中で、山を見たり雲助を見たりしていた眼で、二人の女を見たから、目を驚かせることがよけいに大きかったと見えて、暫らくはその噂で持切りでした。そうして結局は、その何者であるかを突留めなければならない義務があるように力瘤《ちからこぶ》を入れたものもありました。けれどもこの水々しい年増と美しい娘とが奥へ通ったあとで、一同は吹き出さなければならないことに出会《でっくわ》してしまいました。
 それは二人につづいて米友がのこのこと入って来たからであります。笠を取るまではそんなに眼につかなかったけれども、笠を取って見ると米友の剃立《そりた》ての頭が、異彩を放っていることがよくわかるのであります。剃立てといえば、青々としてツルツルしたように考えられるけれど、米友のはよく切れない剃刀《かみそり》で削《けず》ったのだから、なかなかテラテラ光るというわけにはゆかないのです。ところどころに削り残された鉋屑《かんなくず》が残っているのであります。けれども当人は、やむを得ないような面《かお》を
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