めてやって来たが、果して、
「待て!」
 バラバラと兵馬を取捲いて来た警固の者。
「神妙に致せ」
 そこで兵馬は調べられてしまいました。
「今時分、何しにここへ来られた」
「ちと用事あって」
「何用があって」
「神尾主膳殿まで罷《まか》り越《こ》したく」
「神尾主膳殿方へ? して貴殿は何者」
「拙者は江戸麹町番町、旗本片柳伴次郎家中、宇津木兵馬と申す者」
「神尾殿とは御昵懇《ごじっこん》の間柄か」
「まだ御面会は致しませぬ」
「面識もないものが、この真夜中に人を訪ねるとは心得難し」
「大切の用向あるにより」
「大切の用向とは?」
「それは、御城内勤番衆二三の方にも知合いがあるにより、事情を述べれば委細明白のこと」
「その言いわけは暗い。他国の者、夜中《やちゅう》このあたりを徘徊《はいかい》致すは不審の至り、尋常に縄にかからっしゃい」
「縄に?」
「温和《おとな》しくお縄を頂戴致せ」
「縄にかかるような覚えはない」
「手向いさっしゃるか」
「なかなか。縄をいただくべき覚えなきにより、手向い致す心もござらぬ」
「言い逃れを致さんとするか、不敵者」
「これは理不尽《りふじん》な」
 兵馬の言いわけは聞き入れられませんでした。それで兵馬に縄をかけようと群《むら》がって来た時に、その中から分別ありげな武士《さむらい》が一人出て来ました。
「お見受け申すところ、お年若のようでもあるし、両刀の身分、且《かつ》は番町片柳殿の家中と申されるからには拙者にも多少の思い当りがござる、人違いして滅多なことがあってはよろしくあるまい。しかしながら、今宵の大変に出会いなされたが貴殿にとっての不仕合せ故、ともかくも尋常に奉行まで御同行下さるよう。委細の申し開きは奉行に逢ってなさるがよろしかろうと存ずる」
 こう穏《おだや》かに言われて、兵馬は大勢に囲《かこ》まれて勘定奉行《かんじょうぶぎょう》の役宅の方へ引かれて行ってしまいました。
 兵馬は勘定奉行の役宅へ預けられて、ほとんど牢屋同様のところでその夜を明かしました。夜は明けたけれども、兵馬の身の明《あか》りは立たなくなりました。
 盗賊の行方《ゆくえ》は一向わからない上に、彼らが忍び出でた痕跡《こんせき》のある濠端は、ちょうど兵馬が通りかかったと同じ方向でした。その上に、兵馬は神尾主膳を尋ねると言ったけれども、神尾は兵馬なるものをいっこう知らな
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