なるのだい、お前はあの軽業《かるわざ》と一緒に旅に出る気なのかい」
「ああ、少しの間だから行ってみようと思うの、いつまでこうしていたって仕方がないから、わたしもあの人たちのお伴《とも》をして旅に出てみることにしようと思うの」
「もう返事をしてしまったのかい」
「ええ」
「旅に出るのは危ないぜ」
「でも永いことじゃないから」
「どっちの方へ行くんだい」
「甲州とやらへ」
「甲州へ?」
「すぐ帰って来ますよ」
 お君は畳みかけていた着物を、また畳みはじめます。
「君ちゃん」
 米友は、燈下に着物を畳むお君の姿を横の方から暫く眺めていて、思い出したように名を呼びました。
「何だえ」
 お君は着物を畳みながら返事。
「お前は旅へ行く、俺らは奉公に行く、そうすると、また暫く会えないね」
「何だい友さん、そんなに心細いようなことを言ってさ」
「でも、暫く会えないじゃないか」
「暫く会えないには違いないけれど、お前の言うのはなんだか一生会えないような心細い言い方をするから」
「一生会えないかも知れないからさ」
「縁起《えんぎ》でもないことを言っておくれでない、一生会えないなんて」
「それでも、なんだかそんな気持がする、これっきり一生会えないような気持がする」
「またそんなことを」
「お前、その畳んでいる着物は、そりゃあの親方さんから貰ったんだね」
「そうだよ、ちょうどわたしの身体に合っているから持っておいでと言って、あの親方さんがくれたの、まだ一度ぐらいしきゃ手を通したことがないんだよ」
「綺麗な着物だね」
「それからお前、櫛《くし》だの簪《かんざし》だの、足袋から下駄まで、そっくり拵《こしら》えてくれたのだよ。なかなか金目《かねめ》のもので、わたしたちが二年と三年|稼《かせ》いだからって、これだけのものは出来やしない」
「お前、そんなにたくさん貰って嬉しいかい、有難いと思ってるのかい」
「そりゃ誰だって、こんなに結構なものを貰えば嬉しいと思いますわ、嬉しいと思えばお礼の言葉も出るじゃありませんか」
「そうだろうなあ」
「ほんとうに、あの親方さんは親切な人ですよ、自分の妹のように、わたしの面倒を見てくれますから」
「けれどもね、君ちゃん」
「ええ」
「あれは本当の親切ですると、お前は思っているのかね」
「本当の親切?……本当も嘘もありゃしない、このせちからい世の中に、こんなにして下さる人が二人とありましょうか」
「君ちゃん、お前は正直だから、なんでも人のすることを、する通りに受けてしまうんだが、伊勢の拝田村にいた時はそれでいいけれど、江戸というところはそれでは通らないことがあるんだから」
「ホホホ、お前はおかしなことをいう、どこの国へ行ったって、人情に変りというものがあるはずはないじゃないか」
「ところがなかなか、そんなわけにばかりはいかないのだよ、俺らの身にしたって、あんな約束ではなかったのだけれど、江戸へ来てみると、直ぐに真黒く塗られたのは、この通り洗えば落ちるけれども、君ちゃん、お前がもし真黒く塗られると、洗ったってどうしたって落ちやしないよ」
 米友はいまさらのように自分の腕を撫でてみて、それから散切《ざんぎり》になった頭の毛をコキ上げる。
「ホホホ、友さん、お前は今日はどうかしているね」
 お君は無邪気に笑います。
「まさかわたしを真黒にして、印度人に仕立てるようなこともないでしょう、そんなことをしたって、わたしでは見物が納まりませんからね」
「真黒にするというのは、そのことじゃねえんだ、お前の身体を真黒にしようと言うんじゃねえのだ」
「どこが黒くなるの」
「はは、まだお前はそれが気が附かねえんだ、心が黒くなるといけねえんだ」
「心が黒くなる? ばかなことをお言いでない、心なんていうものには色はありゃしない」
「それはないさ、今のところお前の心には色がないんだから、それで大事にしなくちゃいけねえ」
「友さん、お前は学者だから、心がどうだなんて言うんだろうけれど、わたしは学問がないからそんなことは知らないよ、黒くなったら洗えばいいじゃないか」
「洗っても落ちねえ」
「なんだか、お前の言うことはわからない」
「わからねえから、それで俺らは心配なんだ、黒くなると二度と洗い落すことはできないんだから」
「まだあんなことを言っている」
 それで暫らく二人の無邪気な会話は途切《とぎ》れたが、着物を畳んでいるお君の手は休まない。米友は両手で顋《あご》を押えて下を向いていたが、
「君ちゃん、どうだい、旅へ出ることをよしにしてしまったら」
「ええ? わたしに旅へ出るのを止めにしろって?」
 お君は畳みかけた手を休めて、米友の方を向いて眼を円くする。
「そうしてくれると、いつまでも一緒にいられるんだ」
「そんなことを言ったってお前、もう二三日でここに
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