それは駿河の方から来て、この少し先の入《いり》から篠井山《しののいざん》の方へ廻ったようだ」
「そうか」
七兵衛はついにそれより以上の要領を得なかったから、
「有難う、小僧さん」
「さようなら、おじさん」
七兵衛が岩を飛び越えて、また上へ登ってしまうと、暫くして金掘《かねほ》りの少年は、
「うまく嚇《おどか》してやった、人を尋ねると言ったのは大方あのことだろう、燧台《のろしば》の後ろへ行くとお化けと狼が出ると言ったら本気にしていやがった」
椀《わん》を袋へ納めて牛の背のような岩の上へのぼる。
「おーい」
「おーい」
高いところの七兵衛と兵馬、谷の中の金掘り少年と呼び交《か》わす。
「右へ、右へ」
少年が右の方を指さすのに、兵馬と七兵衛はそれを知りながら面を見合せて左へ向う。
「右へ、右へ」
少年はしきりに叫びながら手を振って、
「おやおや、あの二人は左へ廻ったな、すると藤蔓橋《ふじづるばし》のあるところを知ってるのかしら、あれを渡られるとちっと困るぞ」
上の二人は、燧台に近い細道を川沿いに、
「あの小僧、なかなか人を食った小僧でございます、この山の後ろへ廻ると、お化けと狼がいるなんぞと大人を嚇《おどか》す気になっているが、どのみち近いに越したことはございませんから、この辺をひとつ向うへ突っ切って、この燧台の後ろへ廻ってみましょう」
「なるほど、この山は要害の山、狼火《のろし》を上げて合図をするに都合のよかりそうな山だ」
「左様でございます、土地の人は燧台とも言うし、城山とも言うそうでございますから、昔は城があったものでございましょう」
「あれ、あの小僧が手を振っている」
「右へ、右へと怒鳴《どな》っていますな。おやおや動き出した、木の椀が転がり落ちた、それをまた拾っている。いやあれは椀カケとも言い、揺鉢《ゆりばち》とも言って、あれで川の底や山の間の砂を淘《よな》げてみて金の有無《あるなし》を調べるんで。しかしあれだけの子供で、あれだけの慾があるのはなんにしても感心なことだ。甲州人というやつは、一体になかなか山気《やまき》がある。あの小僧なんぞも、あれでよく抜けたらエラ者になりそうだ。あれ、見えなくなってしまった、また谷底へ下りたかな。おや、あの山道を駆けて行く、どこへ行く気だろう」
金掘りの少年は山の小径《こみち》をドンドンと駆ける、駆けながら独言《ひとりごと》、
「あのおばさんが、江戸へ連れて行ってくれると言ったから、江戸へ行ってしまうんだ、こんな山の中では出世ができない、いくら黄金《きん》を持っていても、それを上手に使わなければ詰らねえ、黄金を上手に遣《つか》うには都へ出なければ駄目だ、山へ来て黄金を取って都へ出て遣うんだ、黄金は人に掘ってもらって、自分はいつでも都にいて、遣って儲《もう》けていた方がいいだろう。それはそうと、いま向うの岸を廻った二人連れ、あれは、どうやら剣呑《けんのん》だ、早く行っておばさんに知らせてやろう」
燧台の裏へ先廻りした金掘りの少年は、岩の間へ掛け渡した、半分は洞窟《ほらあな》になった小屋へ駆け込んで、
「おばさん、おばさん」
笠も袋も投げ出し、
「人が来るよ」
暗いところから面《かお》を現わして、こっちを見たのは、意外にも徳間峠を逃げたお絹の姿でありました。
「忠作さん、どんな人が来ます」
「五十ぐらいの合羽《かっぱ》を着た人が一人と、それから、まだ前髪のある若いお侍が一人」
「ああ、それでは……」
お絹は、
「忠作さん」
金掘りの少年の名は忠作というらしい。
「なに」
「今あの人は寝ているから、あのままにしておいて下さい」
「ようござんす」
「それから忠作さん、お前は江戸へ出たい出たいと言っていましたね」
「ああ、おばさん、お前がつれて行ってやると言ったじゃないか」
「ええ、あの人の創《きず》が癒《なお》ったらつれて行って上げるつもりでいましたよ」
「早く癒ればいいな」
「いつ癒るか知れないからね……」
「早く癒してやりたいな」
「早く癒してやりたいけれども、こんなところではお医者さんもなし、お薬もないから、いつ癒るんだか知れやしない」
「気の毒だな」
「それだから忠作さん、こっちへおいで」
お絹は、そっと奥の方を気遣《きづか》うこなしで、静かに立って忠作を表の方へ誘い出し、耳に口を当てるようにして、
「気の毒だけれど、あの人をああして置いて、二人で江戸へ行ってしまいましょうよ」
「ええ?」
忠作は眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》ってお絹の面《かお》を見上げ、
「あんなに怪我をした人を置放しにして出かけるのかい」
「でも、いつ癒るんだか知れやしないもの」
「だって、それはおばさん、薄情というものだろう、あの人を置放しにして出かけて行ってしま
前へ
次へ
全25ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング