また、危難の暗示ある時は、遠のいていたものが必ず密集する、そうして組の頭《かしら》の取締りの者がまず口を開くまでは、なんとも言わないのが例となっているのでした。
「皆さん」
 真中に立った頭の女は三十ぐらいの年頃で、血色がよくて分別のありそうな人。
「はい」
 一同は神妙に返事をする。
「身延参りをなさんす旅の人が、今これで追剥《おいはぎ》にあいなさったようじゃ。これから先の道が危ない。皆さんたち甲州入りをなさる気か、それとも駿河の方へ帰りますか」
「それは姉さん次第」
「それなら皆さん、駿河へ帰るも甲州へ入るも人家までは同じぐらいの道程《みちのり》、いっそ甲州へ入ることに致しましょう」
「承知しました」
「わたしが先へ立って参ります、お浪さん後からおいでなさい、いちばん若い人を真中にして」
「心得ました」
「わたしが音頭《おんど》を取りますから、人家へ出るまで皆さん、歌をうたって下さいまし」
「よろしゅうございます」
「それで、人家へ着いたなら、お役人の方へ御沙汰《ごさた》をしなくてはならぬから、一通り、あの人の殺されているところを調べて参りましょう。さあ一緒になって」
 一団になった山の娘は粛々《しゅくしゅく》として道標の傍《かたわら》へやって来る。
「長い刀……」
 頭のお徳は竜之助が捨てた刀を落葉の中から拾い取る。
「この片腕……」
 血が雨で洗われている片腕――さすがに気味を悪がって面《かお》を反《そむ》ける。
「この人は、こりゃお武家じゃわいな」
 恐る恐る竜之助の傍へ寄る。
「水、水が飲みたい」
「え、えッ!」
 山の娘たちは一足立ち退く。
「生きていますぞいな、このお人は」
「なんぞ物を言いましたぞいな」
 年嵩《としかさ》のお徳とお浪とは、竜之助の傍へ再び寄って来て、
「もし」
「うーむ」
「もし」
 背を叩《たた》いて呼んでみて、
「このお人は生きてござんす、その片腕を切られたのは、このお人ではござんせぬ、薬を飲まして呼び生《い》けて上げましょう」
 薬はお手の物。
「水があるとな」
「どこぞ捜《さが》して来ましょうか」
 若いのが一人出ようとするから、
「いいえ、離れてはなりませぬ、一足なりと一人でここを出てはいけませぬ。皆さん、笑いなさんな、このお人に、わたしが口うつしでこの薬を飲まして上げるから」
 山の娘の頭《かしら》のお徳は、気付けの薬
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