入れたのを抱え、身なりもお対《つい》の黄八丈《きはちじょう》の大振袖《おおふりそで》で、異《ちが》うのは頭に一文字の菅笠《すげがさ》をいただいていることでありました。
「何をしていたの」
「草履《ぞうり》が切れそうになったから」
お玉はお杉の立つところへ追いついてから、少し息を切って、それから二人は肩を並べながら、松並木を東へと歩んで行くのであります。
「今日は少し遅いよ、父さんが怒るだろう、かまやしないけれど」
お杉はこう言って空を仰ぐと、その頭の上を驚かすように、烏《からす》の群が唖々《ああ》と過ぎて行く。
「まだ、烏が飛んでいるよ、暢気《のんき》な烏だねえ」
お杉は口が軽い、歩きながらも何か言ってみねば納まらない性質《たち》であった。
「あの烏はどこへ行くのでしょうね」
お玉は黙って、烏の過ぎ行く方をながめていたが、
「朝熊山《あさまやま》の方に巣があるのでしょうよ」
「鳥は古巣へ帰れども……お玉さん、お誂《あつら》え向きだね。あれ、まだ常明寺の鐘が鳴っているよ、夕べあしたの鐘の声……ね、ほんとにお玉さんのお誂えの通りだよ」
「そうですねえ」
お玉は、にこやかに笑った。
「けれども陰気だねえ。わたしはあんな陰気な歌よりは、投げさんせ、抛《ほう》らさんせで、陽気にやる方が好きだけれど」
お杉はお玉の面色《かおいろ》をうかがうようにしたが、お玉は真直ぐに向いたきりで何とも言わなかったから、お杉はまた、
「それでも、お玉さんがあの歌をうたうと、お客様がみんな感心してしまうのだからね。わたしだってなんだか悲しくなって、気を引かれてしまいますわ」
「今は流行《はや》らないんだけれど、あれが本歌だと、お母さんが、そ言って教えたもんだから」
お玉は申しわけのように、これだけを言った。それから二人の間には、話の蔓《つる》がしばらく切れて黙って歩いて行って、
「あれ、ここは谷村道《たにむらみち》だよ、それではお玉さん、ここでさよなら」
「あ、そうでしたねえ、さよなら」
お杉とお玉とはここで別れる。お玉に別れたお杉は、スタスタと畷道《なわてみち》を谷村の方へ急いで参ります。
お玉は少しのあいだ立ち止って、お杉の行く後ろ影を見送っていましたが、
「わたしも急ぎましょう、今日は帰ってから古市《ふるいち》へ呼ばれるお約束があった」
前より少し急ぎ足になって、例の黄八丈の大振袖の前を胸に合せて、袋に入れた三味線を乳呑児《ちのみご》のように抱き、一文字の菅笠を俯向《うつむ》きかげんにして、わが家の拝田《はいだ》村の方へと急ぐのであります。
三
それから、いくらもたたない後、お玉の姿を古市の町の通りで見かけることができました。
姿は前と同じですけれど、今度は笠をかぶらず、笠の代りに頭から手拭をかけて後ろへ流し、小腋《こわき》にはやはり袋に入れた三味線をかかえていましたが、
「ムクよ、もうここでよいからお帰りよ」
やさしい言葉をかけられたのは、拝田村の住居《すまい》から附いて来た逞《たくま》しい一頭のムク犬であります。
ムクは、お玉に頭を撫でられながら尾を振ってその面《かお》を見上げている、お帰りと言われても帰ろうともしませんから、
「今夜は、もう家へ帰ってお休み」
お玉は、ここから犬だけを帰して、自分ひとり、めざす方《かた》へ行こうとするのでありました。
いつも柔順《すなお》に言うことを聞くはずのムクが、帰れと言われても今宵はそれを聞き分けずに、お玉が歩きだすとムクはやっぱり後をついて来るのでありました。
「ムクや、お帰りというのに」
少し言葉を強めて叱るようにして追ってみたが、犬はどうしても帰ろうとしませんので、お玉は石を拾って打つ真似《まね》をすると、ムクは身を躍《おど》らして後ろへは逃げず、行手の方へ走る。
「困るねえ」
お玉は仕方なく、追わんとした犬に導かれて、古市の町の人込《ひとごみ》の中を、面を人に見られないようにして行くと、
「あれは間の山のお玉ではないか」
町の人は早くも、お玉の姿を見つけ出して、
「お玉に違いない、お玉が、また逗留《とうりゅう》のお客様に呼ばれて間の山節を聞かせに行くのだ」
土地の人は、よく知っていて見逃さない。お玉が通ることが、特に町の人の眼を惹《ひ》くのはほかに理由もあるのであります。
「あれ、案の定《じょう》、犬がいるわ、ムク犬が跟《つ》いて行くわ」
お玉を併《あわ》せてムク犬をも見逃さないのであります。
古市の町には、茶屋があり遊女屋があり見世物もあり芝居もあるのに、そのなかで、通りかかるお玉の姿が人の口の端《は》にのぼるほど、それほどお玉は土地の人にも旅の人にも覚えられているのでありました。
そうして、お玉が行けば、間の山節を唄いに行くものと
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