槍を上段につけたまま兵馬が一歩進むと米友が一歩退く。
一歩一歩と兵馬は追い詰めて行く、米友は一歩一歩とさがって行く、ムクもそれにつれてジリジリと米友並みにさがる。
兵馬に米友を突くつもりのないことはわかっている。兵馬はただこうして一歩一歩と米友を追いつめてさえおれば、ついに彼は窮して槍を投げ出すものと思っているらしい。それだから兵馬は、いつも上段の位を換えずに極めて少しずつ追い込んで行く。
米友は猿のような眼をクルクルと廻して、歯を噛みならして、色は真赤になる。突き出すこともできず、払いのけることもできず、焦《じ》れてウォーウォーと叫ぶ。米友の陣立てが悪い時、それを補うのがムクの役目でなければならぬ。それが米友並みに一足ずつ引いて行ったのではムクらしくもない。気を見ることを知っているムクは、兵馬の槍先がたとえ米友の咽喉へ向いていたからにしたところで、そこで固まってしまう槍でないことを知っている。変化の働きを怖るればこそ、同じように引いて行くのではあるまいか。或いはまた、兵馬に米友を突くの心なしと見て取って、ワザと後《おく》れているのではあるまいか。
しかしながら米友は脂汗《あぶらあせ》を流して、いよいよ追い詰められる。
この間がなかなか長い、見物は静まり返って手に汗を握る。
兵馬は追い詰め、米友は突き詰められて、とうとう前の大榎《おおえのき》のところまで来てしまいました。大榎を背中にして米友はこれより後ろへは一歩も退《ひ》くことはできぬ。兵馬が前の調子で進んで行けば、米友は勢いこの大榎の幹へ串刺《くしざ》しに縫いつけられる。
米友の五体は茹《ゆ》で上げたように真赤になる、筋肉がピリピリと動き出した。ムクもまたその傍まで来て、兵馬を睨んで唸っている。絶体絶命と見えた時、
「エヤア」
なんとも名状すべからざる奇声を立てて米友の竿は兵馬の面上に向って飛び出した。と思うと、竿は米友の手から離れて矢車のように宙天に飛び上る。
「エエしまった!」
米友の突き出す槍を兵馬は下からすくう[#「すくう」に傍点]て撥《は》ね返してしまったらしい。米友の竿を撥ね返した兵馬は、その槍で直接《すぐさま》附け入って咽喉元をグサと貫く手順であったが、それがそういかないで、槍を手元に引いてしまいました。
大榎に串刺しに縫いつけらるべきはずの米友がそこにはいない。この時、大榎の上
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