、そうしていま申す間《あい》の山《やま》あたりには、それが最も多いのであります。
源氏車や菊寿《きくじゅ》の提灯《ちょうちん》に火が入って、水色縮緬《みずいろちりめん》に緋羅紗《ひらしゃ》の帯が、いくつも朧《おぼろ》の雪洞《ぼんぼり》にうつって、歌吹《かすい》の海に臙脂《べに》が流れて、お紺《こん》が泣けば貢《みつぐ》も泣く頃には、右の間の山から、中の地蔵、寒風《さむかぜ》の松並木、長峰の里あたりに巣をくった名物の乞食どもが、菰《こも》を捲いて、上り高のさし[#「さし」に傍点]を数えて、ぞろぞろと家路をさして引上げて来るのであります。秋に入ったとはいえ、陽気を受けたこの土地は、なかなか夜風の涼しさが肌に心地よいくらいで、昼は千早振《ちはやぶる》神路山《かみじやま》の麓、かたじけなさに涙をこぼした旅人が、夜は大楼の音頭《おんど》の色香《いろか》の艶《えん》なるに迷うて、町の巷《ちまた》を浮かれ歩いていますから、夜の賑《にぎわ》いも、やっぱり昼と変らないくらいであります。
それも寒風の松並木のあたりへ来ると、グッと静かになって、昼の人出はどこへやら、常明寺《じょうみょうじ》から響く鐘の音が、ここばかりは陰《いん》に籠《こも》るかと聞きなされて、古市の町の明るい灯《ひ》を見ながら、この鐘の響を聞くと、よけい、寂しさが身に沁《し》みるように思われます。
「夕べ、あしたの鐘の声……なんだかお玉さんのようだねえ」
並木の蔭に立ち止まって、後ろを振返ったのは、片手に三味線を包んだ袋を抱えた、まだ年の若い女の子であります。
「どうしたのでしょう、呼んでみようかしら、お玉さあ――ん」
お玉さあ――んという声が並木の梢《こずえ》を伝って、田圃《たんぼ》の方へ消えて行くと、また常明寺の鐘が鳴る。
「ほんとに、どうしたのでしょう、わたし淋しくなる、もう一度、呼んでみましょう」
二
古市を知るものは伊勢音頭を知る。間《あい》の山《やま》を知る者はお杉お玉を知らねばならぬ。
「お玉さあーん」
寒風《さむかぜ》の松並木のあたりで、連れの名を呼んでみた女の子は、申すまでもなくお杉でありました。
「あいよ」
女にしてはキッパリした声で、向うの闇の間から返事をして、駈足の気味でこちらへ来るのは、やっぱり同じ年頃の娘姿であって、小腋《こわき》には同じように三味線の袋に
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