の撥で、その鳥目をはっしはっし[#「はっしはっし」に傍点]と受け止めながら、三味をくずさないのが、お杉お玉の売り物なのでございます」
 万の[#「万の」に傍点]は仔細《しさい》らしく講釈をしましたが、客はそんな講釈を耳に入れず、お玉の方ばかり見ていました。
「あの形《かた》がいいね」
 侍たちの間での囁《ささや》き。
「後ろにあるのは、太秦形《うずまさがた》の石燈籠、それを背中にして、あの通り三味を構えた形は、女乞食とは見えぬ、天人が抜け出したように見ゆる」
「ははあ、なるほど」
 先刻の黒羽二重のは、何かまた一人で感に入って膝を丁《ちょう》と打ちます。
「趣向だな、座敷へ上げないで庭で聞かすところが趣向だわい」
 独合点《ひとりがてん》をして納まります。通《つう》がってみたい人には往々、なんでもないことを何かであるように、我れと深入りをした解釈を下して納まる人があることであります。
 先刻、お玉が座敷へ通されないことを、身分が違う、つまり人交《ひとまじわ》りのできないさげすみ[#「さげすみ」に傍点]の悲しさで、そうした侮りの待遇を受けても、自分もそれで是非ないものと思っており、周囲もまたそれを侮りともさげすみ[#「さげすみ」に傍点]とも思っていないという麻痺《まひ》した習慣のせいだとばかり思っていた黒羽二重は、ここに至って、そうでない、わざと地下《じげ》へうつして、蓆《むしろ》の上から聞くことが、この歌の歌い手と、この節の風情に最もよくうつり[#「うつり」に傍点]合うものであるから、それだから、わざと庭へおろして聞かせるように趣向を凝《こ》らしたものだと、黒羽二重はこういうように独合点をしてしまったほど、それほど、庭の中へ、燈籠を少し左へ避《よ》けて後ろへあしらった、お玉の形がよかったものであります。それから、おもむろに間の山節の歌、
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夕べあしたの鐘の声
寂滅為楽と響けども
聞いて驚く人もなし
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 ここへ合の手が入る。
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花は散りても春は咲く
鳥は古巣へ帰れども
行きて帰らぬ死出の旅
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 し――で――のたび、人を引張って死出の旅へ連れて行きそうな音色《ねいろ》。お玉の面《かお》はやや斜めにして、花は散りても春はさく……の時、声が甲《かん》にかかって、ひとたび冴《さ》えてい
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