さん……お前さんは江州生《ごうしゅううま》れとかおっしゃったな。江州女のことは存じませんが、この紀州の女というものは、なかなかその、執念《しゅうねん》の強いものでございますよ」
「まあ、それは怖《こわ》いことでございます」
 六助が、あまり力を入れて話すので、お豊は少し笑いかけると、
「いや、笑い事じゃござんせん、全く以て昔から今まで紀州の女は、執念深いで評判じゃ、いったん思い込むと、それ鬼になった、蛇《じゃ》になった」
 六助は額《ひたい》のところへ指を出して、蛇になった恰好《かっこう》をして見せますから、なおおかしいので、お豊は、
「ホホ、それでは紀州の娘さんは、お女房《かみ》さんには持てませんね」
「それは男の出様次第さ、なんでもかでも蛇になるというわけではございませんよ」
「そうでしょうとも、そういちいち鬼になったり蛇になったりされてはたまりませんね」
「そうとも、そうとも、みんな男の出様次第なんだよ。つまり、そのくらい執念が強いのだから、可愛がられると、また無茶苦茶に可愛がられる」
「それも危のうございますね」
「ナニ、この危ない方は、ずいぶん危なくなってもよろしいのでございます」
「ハハ、わしらもそんな危ない目に遭ってみたい」
 聞いていたものは一度に笑い出したが、六助だけは大まじめ、
「笑っちゃいけない、大事のことだ、つまり男の出様一つで、鬼にもなれば蛇にもなる」
 六助の話しぶりで一座に花が咲いたので、六助も得意です。
「お内儀さん、お前さんの前だが、女というものは受身で、男と比べたら一枚も二枚も割が悪い」
「さようでございます」
「女に欺《だま》される野郎が多いか、女を欺す男が多いか、そこんところはよくわかりませんがね、なんにしても、欺される野郎は間抜けで欺す男は罪だ」
 本問題の帯の説明はどこへか飛んで、六助の序論はなかなか大したものです。
「それが証拠にはね、女に欺された野郎は、どうにかこうにかウダツが上るがね、男に欺された女は、どうもまあ十人が九人まで浮む瀬がないね」
「なるほど」
「だから、怨念《おんねん》はどうしても女の方に残る、化《ば》けて出たとか腫《は》れて出たとかいうのは、大抵は女にきまっている」
「なるほど」
「清姫様などがそれだ。つまり清姫様が悪いのじゃない、男の方が悪いのだ。女に実《じつ》があるほど、男に実がないのだから、捨てられた女の一念が鬼になったり、蛇になったり、薄情な男にとりついたり祟《たた》ったりする」
「やあ、わしらがうちでも、引っ掻いたり、噛みついたり、毎日、清姫様の祟りでとてもやりきれねえ」
 夫婦喧嘩をすることにおいて有名な駕丁《かごや》の松が茶々を入れる、一同がまたドッと笑い出す。それにもかかわらず六助は大まじめで、
「笑い事じゃない、わたしは実地に、女の怨霊《おんりょう》というものを見たからそういうのだよ」
「お化けを見たのかい、女の」
「ああ、見たよ、女のお化けを眼《ま》のあたり見届けたことがある」
「どこで見たい、聞きたいね」
「わしが、和歌山の御城下のさる御大家《ごたいけ》に御奉公している時分のこと……」
 お化けの話。浮《うわ》ついていた者が六助の面《かお》を見ると、嘘ではない、ホントにお化けを見たような面をしているので、ちょっと茶化しにくいのである。
「その御大家に一人のお嬢様がおありなすった……それはそれは、よい御容貌《ごきりょう》でな、すごいほどの美しさだ。そのお嬢様が、お年は十九の春……」
 六助は、自分で凄《すご》いような身ぶりをして、せりふ[#「せりふ」に傍点]にくぎりをつけたが、まるきり芝居気《しばいっけ》で話すのではない。
「紀三井寺《きみいでら》の入相《いりあい》の鐘がゴーンと鳴る時分に、和歌浦《わかのうら》の深みへ身を投げて死んでおしまいなすった」
 紀三井寺の入相の鐘の音《ね》というところに妙に節をつけて――つまり鳴物入《なりものい》りで話にまた相当の凄味《すごみ》がついた。
 お豊は六助の話を、あんまり身を入れては聞いていなかったが、この時、総身《そうみ》に水をかけられるような気持になりました。
 聞いていたほかの連中も、なんだかこう、少しものすごくなってくる。
「六助さん、まあ、そんな怖い話はよして、今の帯の謂《いわ》れを聞かして下さいな」
 お豊は、言葉をはさんで、和歌山の大家の娘が入水《じゅすい》したという怪談を打消そうとしたのでした。
「なるほど、ではそのお嬢様の幽霊話はあとにして、清姫様の帯の謂《いわ》れ因縁《いんねん》から説き明かすことに致しましょう」
 ようやく話は本問題に入るのである。
「まず――紀州|牟婁郡真砂《むろごおりまさご》の里に清次《きよつぐ》の庄司《しょうじ》という方がおありなすったと思召《おぼしめ》せ」

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