人がまだなんとも報告を齎《もた》らさないうちに、またしても人を驚かす報告が一つ持ち来《きた》された。
「河原に人が殺されている」
 それを見つけたのは里の子供でした。村の人が駈けつけて見ると、昨夜来の雨で日高川の水嵩《みずかさ》が急に増した。蛇籠《じゃかご》にひっかかった一つの体はまだ若い男でありました。
「室町屋の金蔵さんだ!」
「斬られてる!」
 それはたしかに金蔵である、斬られていることも確かである。
 宇津木兵馬は宿の人に頼まれてその検視に行った。
 兵馬が金蔵の死骸《しがい》を見て衷心《ちゅうしん》から驚いたのは、その死にざまが怖ろしいからではない、また彼の身の成る果てを不憫《ふびん》と思いやったからというのでもない、その斬口《きりくち》の鮮《あざや》かさ! 心得ある人より見れば、斬口でその斬った人の手腕がわかる、否《いな》、手腕のみではない、それが何流の剣道に出でてどの程度まで行った人だということもわかるはず。
 右の肩から真直ぐに、それは力任せにやったのでも何でもない――冷笑しきって軽く一振り、曳《えい》とも言わず二つに切って落すべきものを落さずに、いくらか残しておいて刀を鞘《さや》に入れたが、おそらく血は刀に附く遑《いとま》がなかったろう――切ると一緒に高いところから足で蹴落《けおと》して(その証拠には、かすり疵《きず》がいくつもある)、下へ転《ころ》がって行く屍体の音を聞きながら、蚊をつぶしたほどにも思ってはいなかった――兵馬の眼には、斬った人の面影《おもかげ》がありありと浮ぶ。

         十二

 眼の前にあっても、時が来《きた》らねば会えません。竜之助と兵馬とは、山城、大和、伊賀、紀伊の四カ国を、あとになり、先になって、往《ゆ》きつ戻《もど》りつしましたけれど、とうとうそのいずれでも会うことができないのです。竜之助は敢《あえ》て兵馬を怖れて逃げ隠れているのではない。兵馬は目の先に近づいて、それでどうも刃《やいば》を合せることができないのです。
 今、ここに竜神村の災難、七兵衛やお松がどうしてここへ来るかを知らねばなりませんけれど、兵馬はそれを顧みている遑《いとま》がない。
 竜之助の落ちて行く方面は、日高川に沿うて四十余里の屈曲を塩屋の浦まで出て、船でどちらへ行くか、または高野領《こうやりょう》を経て西国筋《さいこくすじ》へでも落ちる
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