って、金六夫婦の驚きは一方《ひとかた》でない、近所組合の人も総出で騒いだが、結局、金蔵の行方は更にわかりません。
丹後守はかの弾薬のことについては、何も言わず。ホッと胸を撫《な》で下ろしたのは薬屋源太郎はじめ、お豊らでありましたが、あんな奴だからまた何をしでかすまいものでもない――安心したような、まだ心配が残っているような……それでも金蔵がいなくなったので、ひとまず胸を撫で下ろしました。
金蔵がいなくなってみれば、お豊が植田の邸に預けられる必要はなくなった。
お豊が再び薬屋へ帰った時には、暗い心に薄い光がさしていた。
竜之助は、ものの五町とは離れぬところへお豊が帰ったその晩は、どうも寝られない淋しさを感じた。
さて、お豊は薬屋へ帰っていくらもたたないうちに、伯父の源太郎に向って、亀山へ帰りたいからと言い出しました。
今まで死んでも帰らぬと言い張った故郷へ、今日は我から帰りたいと言い出したことを、伯父は思いがけなく驚いたくらいでしたけれど、当人にその心の起ったことは非常な喜びで、
「それでは、わしが送って行って詫《わ》びをして上げる」
大急ぎで旅立ちの用意をはじめました。これとほとんど時を同じゅうして机竜之助は、植田丹後守にいろいろと高恩の礼を述べて、これも関東へ発足の日取りをきめました。
出立の前の日、薬屋源太郎が丹後守へ挨拶に出て、
「あれも、お蔭をもちまして、明日、故郷へ送り返すことに致しましたから……」
一通りの暇乞いの話を聞いた植田丹後守が、
「わしがところにおる吉田竜太郎と申される御仁《ごじん》が、これも近いうち関東へ立つ、次第によりて同行を願うてみたら――」
十三
式上郡から宇陀郡へ越ゆるところを西峠という。西峠の北は赤瀬の大和富士《やまとふじ》まで蓬々《ぼうぼう》たる野原で、古歌に謡《うた》われた「小野の榛原《はいばら》」はここであります。
西峠は一名を「墨坂」という、「墨坂」の名は古代史に著《あら》わる。「鳥立《とだち》たづぬる宇陀《うだ》の御狩場《みかりば》」というのは宇陀の松山からかけて榛原より西峠、山辺郡に至るあたりを言うたものらしい。
古《いにし》えの「禁野《きんや》」、推古の朝《ちょう》の薬狩《くすりがり》のところ、そこを伊勢路へかかって東海道へ出る道と、長瀬越えをして伊賀へ行く路とが貫いて通
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