のくらい罪なものはございませんな」
 ちょっと覗《のぞ》きに来たつもりで、うかうかと立見《たちみ》をしてしまった隣の宿屋の番頭も、つり込まれて慷慨《こうがい》の体《てい》。
「左様《さよう》、全く罪なことでござるよ、あんなのはいっそ助けない方がようござるな、添うに添われず、生きるに生きられず、現世《このよ》で叶《かな》わぬ恋を未来で遂げようというのじゃ、それを一方を殺し一方を助けるなんぞ冥利《みょうり》に尽きたわけさ」
 眼鏡の隠居は慨歎する。
「でもね――女に廃《すた》りものはないからねえ」
 藍玉屋の息子のねむそうな声が一座を笑わせる。
 ここに問題となった女は、机竜之助が鈴鹿峠《すずかとうげ》の麓、伊勢の国|関《せき》の宿《しゅく》で会い、それから近江の国大津へ来て、竜之助の隣の室で心中の相談をきめ、その夜のうちに琵琶湖へ身を投げて死んだはずのお豊――すなわちお浜に似た女であります。
 一人は死に、一人は残る。そうしていま女は親戚《しんせき》に当るこの三輪の町の薬屋(薬屋といっても売薬屋ではない、旅籠屋《はたごや》である)源太郎の家へ預けられている。

         二

 助けて慈悲にならぬのは心中の片割《かたわ》れであります。
 一方を無事に死なしておいて、一方を助けて生かしておくのは、蛇の生殺《なまごろ》しより、もっと酷《むご》いことである。
 不幸にして、お豊はあれから息を吹き返した、真三郎は永久に帰らない、死んだ真三郎は本望《ほんもう》を遂げたが、生きたお豊は、その魂《たましい》の置き場を失うた。
 これを以て見れば、大津の宿で机竜之助が、生命《いのち》を粗末にする男女の者に、蔭ながら冷《ひや》やかな引導《いんどう》を渡して、「死にたいやつは勝手に死ね」と空嘯《そらうそぶ》いていたのが大きな道理になる。
 息を吹き返して、伯父に当るこの三輪の町の薬屋源太郎の許《もと》へ預けられた後のお豊は、ほんとうに日蔭の花です。誰が何というとなく、お豊の身の上の噂は、広くもあらぬ三輪の町いっぱいに拡がった。
 お豊は離座敷《はなれ》に籠《こも》ったまま滅多《めった》に出て歩かないのに、月に三度は明神へ参詣します。今日は参詣の当日で、かの閑人《ひまじん》どもに姿を見咎《みとが》められて、口の端《は》に上ったのもそれがためでありました。
 女というものは、どこへ隠
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