じめて会って見ると、父なる弾正の面影《おもかげ》を偲《しの》ばずにはいられなかった。なんとなく威光のある、そうして懐《なつか》しい人柄《ひとがら》だと、荒《すさ》びきった机竜之助の心にも情けの露が宿る。
「これは仕合《しあわ》せなことじゃ、どうか暫らくこの道場を預かっていただきたい」
 丹後守は、道場へ出て竜之助の試合ぶりを見てこう言うた――この道場にはべつだん誰といって師範者はないけれど、丹後守の邸には、召使のほかに、いつも五人十人の食客《しょっかく》がいる。多くは浪人者で、そのほか、国々や近在から、武芸修行者が絶えず集まって参ります。

         五

 見も知らぬ浮浪人を、快く家に通すさえあるに、その技倆を信じて、己《おの》が道場を任せて疑わぬ丹後守の度量には、机竜之助ほどの僻《ねじ》けた男も、そぞろ有難涙《ありがたなみだ》に暮れるのであります。竜之助は再びここで竹刀《しない》をとって、人を教える身となります。何から言うても、よくもとの身の上に似ている、丹後守を父として見る時に、竜之助には更に強く強く親の慈悲というものがわかってくるのであります。いかに物事に不自由がなくても、子のない人には、消して消せない寂しさがあります。
 われ一人を子に持って、三年越しの病の床から、勘当を言い渡さねばならなかった父弾正の胸の中はどんなであったろう――一徹《いってつ》の頑固《がんこ》な父とのみ見ていた自分の眼は若かった。このごろでは竜之助も、東に向いて別に改まって手を合わすようなことはせぬけれど、ひそかに襟《えり》を正して、父の上安かれと祈ることもたびたびであります。
 彼は、このしおらしき心根《こころね》から、おのずと丹後守に仕える心も振舞《ふるまい》も神妙になる――もともと竜之助は卑《いや》しく教育された身ではない、どこかには人に捨てられぬところが残っているのであろう、丹後守夫婦は竜之助を愛してなにくれと世話をします。ここへ来てから三日目の夕べ、竜之助は三輪明神の境内を散歩して、うかうかと、かの薬屋源太郎の裏道の方へ出てしまいました。
 竹の垣根があって、かなりに広い庭の植込から、泉水のひびきなども洩《も》れて聞えます。庭の方は大きな構えで、燈火《あかり》が盛んにかがやいて客や女中の声がやかましいのに、この裏庭は、垣根一重を境にして、一間ほどの田圃道《たんぼみち》
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