部を維持していた、春秋社としても相当の金箱であったろうと思う。
 そうしているうちに、例の大震災で東京は殆んど全滅的の光景を現出した、市中の書物は固《もと》より紙型類等も殆んど全部焼き亡ぼされてしまったが、この大菩薩峠の紙型だけが焼けないで残されたのは殆んど浅草の観音様が焼け残ったと同じような奇蹟的の恵みであったのだ、神田君は勇気をふるい起して震災版を拵えた、それは赤く太い線をひいた紙表紙版を応急的に拵えて売り出したのだが、当時災害に遭って物質的にも精神的にも飢え切っていた市民は競うてこの震災版を求めること渇者の水に於ける如くで、この震災版が売れたことも震災直後の出版物としては第一等であったろうと思われるが、然し、ああいう際にこの読み物の与えた市民への慰藉はまた確かに著者としても出版者としても一つの偶然な功徳といってよいと思う。
 その事が終ってから、こんどは大毎、東日へ誘われて続きを書くことになったのである、そこでまた宣伝力が大いに拡大して来た、両紙へ書き出したのが「無明の巻」で、こんどは最初から巻の名をつけることにした、それをまた、この両紙へ執筆したのが七〇〇回ばかりに及んで、それ
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