技座に大劇場としての仮普請をして、沢正の為に根城を拵《こしら》えてやったり、非常の景気であって、一代も彼を拍手喝采することで持ち切りであったが、あぶない事はいよいよあぶない、大菩薩峠に反いてからの後の沢田というものは全く意地と反抗とヤケとで暴れ廻っているのだ、何も知らない世間はその勇猛な奮闘振りだけを見て喝采するが我輩のように彼の大きくなったのも小さくなったのも内外の悩みも委細心得ているものにとっては、ああいう行き方が不憫で堪らなかった、といってなまじい同情を寄せて撚《よ》りを戻してはよろしくないに相違ない、我輩は頑として近寄ることをしなかったが、その間いろいろの方面からいろいろの意味で懇願したり、釈明したり謝罪的の表明をして来たり、籾山君なども自身幾度び我輩を口説《くど》きに来たかわからないし、沢田君も再々自身もやって来たしいろいろと好意を表したが我輩としてはどうしても作物の上で再び彼と見ゆることは絶対的に許されない事であったのだ。
そのうちに、沢田があの通り若くして斃《たお》れることになってしまった、病名は中耳炎ということであったが、なあに中耳炎のことがあるものか、ああいう無理の
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