見分に行く、そうしてその試演が気に入らなければ何時でも止める、或は練りに練り直した上で公開すると斯ういうことを堅く手紙で約束して置いて、そうして大正何年の秋であったか神戸の中央劇場で試演をやるとのことであったから我輩は態々《わざわざ》神戸まで出かけて行ったところが、神戸の中央劇場に辿り着いて見ると試演どころか絵看板をあげて木戸をとっての本興行だ、それを見た我輩の失望落胆から事がこじれて来た。

     演劇と我(3)

 しかし、沢田君も我輩が態々神戸まで出かけて来たと聞いて、竜之助の衣裳、かつらのまま楽屋から出口まで飛び出して来て我輩に上草履《うわぞうり》を進めたりなどする態度は甚だ慇懃《いんぎん》のものだ、しかしもう開幕間際だったから、楽屋へは行かず直ちに桟敷《さじき》に出て見物したが、竜之助が花道を出て大菩薩峠にかかるその姿勢がまた気に入らなかった、今更故人に対してアラを拾い立てるわけではないが、とにかく沢田君が出ると神戸の見物もなかなか湧いたものだが、舞台へかかる足どりにも八里の難道という足どりは無く、峠の上へ来て四方を見渡す態度にも境界そのものがなくて、どうも見栄《みえ》を
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