ムと呼ばれた哲学者の研究した、我々人類その他の生物及び無生物の音声、音響、即ち「声の行方」に関する論文――それから人の口の端によく言われている、「カアバスのカアレンダアス」や「カアマシャアストラ」や「十万白龍」――等その他数十冊の書籍を積み重ねてみた。これは一つには、屏風《びょうぶ》代りで風を妨ぐのに役だった――彼の部屋の空気は、これらのもので怪しく顫《ふる》えていた――そうして彼は、なお自分の手のとどく限りのところへ水差や煙草や鑵詰等を並べてみた。
 ―――――
[#ここから1字下げ]
,  ,  ,
Itself,
by itself,
solely ONE everlastingly
and single
,  ,  ,   ,  ,  ,   ,  ,  ,
Ce grand malheur,
〔de ne pouvoir e^tre seul.〕
,  ,  ,
[#ここで字下げ終わり]
 時として彼の部屋は、故人の書籍から忍び出て来たと思える文字で、深夜のシャンデリヤのように奇妙に寂しく戦《おのの》きつつ輝いた――そうして彼はそれからの幽霊を相手にして楽みに耽った。
 そうしてこれらの文字の幽霊は、おや! おや! と飽きれ果てるほどの蝶や蜂のように入雑《いりまじ》り、入乱れて飛び廻るかと思えば、不意に家のなかへ舞込んで来て驚き廻っている小鳥のように、彼の部屋のあらゆるところを飛び廻り、ついには食器のなかへまで飛びつき這い廻った――それはちょうど、歓喜とか恐怖とか死とかの極印のようであった――蝙蝠《こうもり》のように、何処から現われるともなく、何処へ消えるともなく、ひらひら、ひらひらとファンタステックに明滅していた。それは最初こそ、彼には楽しい想像の接穂《つぎほ》としても親まれたが間もなくするうちに、それは怕《おそ》ろしい恐怖の予言のように思われはじめた。そうしてそれは、呪文の影でもあるかのように、彼の脳のなかへ射込《さしこ》んで来た。
「おれの敵は姿を変装して来た、ちょっと油断をしているうちに!」
 こう思いながら、彼は自分の眼を四方へ見張った。

     *

「雪だろう!」
「雪だろう!」
 或日の夕方であった。――
 ひょっこり彼の耳へ、こんな会話が表口の方からひびいてきた。
「雪だろう?」
 彼はうっかり寝床のなかで呟《つぶや》いた。そうして彼
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