烽「いように見えるが、言葉のルーズなのや軽薄なのは直ちに物の考え方を誤る恐れがあるし、又それ自身物の考え方のルーズさや軽薄さを意味しさえするだろう。――だがこう云って来ると、直ちに、哲学と文学との連関に這入って来るが、それは後にするとして、とに角哲学は古来思想の科学であったし、現在でもそうなのだ。
自然哲学はでは思想の科学か、と云うかも知れない。だが自然哲学の歴史は、自然を如何に考えるか[#「如何に考えるか」に傍点]という問題の解決と共に動いて来たことを忘れてはならぬ(例えばタレスの水から無限定者に来るまで)。形而上学は思想の科学かと云うだろう。所謂形而上学(純正哲学という意味での)は明らかに思想の科学である。例えばベルグソンを見るがよい。世界に就いて物を最も広く深く考える考え方が、ベルグソンなどの形而上学と呼びたいものに他ならぬ。
思想の科学は常に認識理論乃至論理学であった。勿論新カント派の意味する認識論や論理学、又学校論理学の類に局限されたものの謂ではない。一切の文化領域を貫く認識とそれに必要なカテゴリーの秩序や観念の秩序の検討のことだ。だから思想の科学としての哲学は一切の文化
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