\わないと思うが、少なくとも悪文でなしに、達意の文章を書けるということは、人間の資格に関わる大切な能力である。国語教育[#「国語教育」に傍点]というもの、またこれを研究する国語教育科学[#「国語教育科学」に傍点]というものがあるなら、それはこうした人生[#「人生」に傍点]における作文の意義を闡明する立場に立脚しなくてはなるまい。
 今度、垣内松三教授の『国語教育科学』(全十二巻)の計画が発表されて、その第一巻『国語教育科学概説』が出たが、それを読んで見て、私がかねがねもっているこの作文論が、大した見当違いの思い込みでなく、この専門家によっても立派に認められているのを知ることが出来たのは愉快である。
 氏はその新鮮で独創的な「国語教育科学」という科学(国語教育を取り扱う教育科学)をば言語哲学的考察から出発させる。E・カッシーラーの見解に近いのかと思うが、国語の力[#「国語の力」に傍点]を象徴形式としての言語の内に見ようとするのである。氏はそれに因んでW・フンボルトの言語哲学や、ペスタロッチの国語教育説、更にカントやフィヒテの言語論にまで論拠を求めているのである。こうした言語哲学の上に立っ
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