ピノザ邦訳に関して喧嘩をしている。初めて攻撃の矢を放ったのは畠中氏の方であって、相当痛烈なものだったが、斎藤氏は之に対して、多少問題の核心を避けながら、一種皮肉な口吻で高踏的な答をした。翻訳に多少の誤訳のあるのは已むを得ないことだが、それをそんなに大騒ぎするのはどういう目的なのか、という口吻である。併しテキストに関する論争としては、素人の眼から見て、勝味は畠中氏の方に多いように見えるのであって、畠中氏は今月号(一九三四年九月)の『思想』では大分落ちついて、斎藤氏に止めを刺そうとしているらしい。
 だが吾々素人の読者にとっては、この種の問題は決してただのテキスト批判の問題には止まらないのである。現に畠中氏も斎藤氏もそれぞれ「学的良心」とか「学者の信用と地位」とかいうものを持ち出して問題にしているが、それが単なるテキスト・クリティックの問題に止まらない証拠である。そこでテキスト・クリティックの観点以上の観点に立つと、どっちの方に理があるか、簡単には決まらなくなる。
 一体『思想』という雑誌は之まで時々この種の学界警備に任じて来た。和辻哲郎氏は東北帝大教授藤岡氏のコーエン翻訳をヤッツケて訳者
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