がジードの本意にかなっているかどうかは知らぬ。つまり堀口氏の右のような解説が、当っているかどうかは知らぬ。併しどうも直接の印象は誰によってもこのようなものであろう。して見ると、『修正』のジード氏はソヴェートの敵になったというのか、『紀行』に於けるソヴェートの友はその敵に豹変したのか。
 君子豹変は嘉すべきであるが、併し『紀行』と『修正』との間には、ジードにとってどんな出来事が起きたというのだろう。なるほどソヴェートに於ては粛党運動にからんだ色々の刺激的な事件が起きた。だが、それが急にジードをソヴェートの敵とするには足りなかったことは、『修正』を読んでも明らかである。ジードは改めて旅行のし直しでもしたのであるか、そうでもない。彼を『修正』へ刺激したのは専らジード的見解の反対者であり、ジード攻撃者の活動である。それが豹変のためのほとんど唯一の新条件だ。そしてこの豹変を表現するために材料となったものは、即ちシットリン、トロツキー・メルシェ、イヴォン、ヴィクトオル・セルデ、ルゲェ、ルドルフ其の他の諸家の研究だ。つまり「統計」その他のものだ。ジードの実地の見聞ではないのである。
 でこうして彼は
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