o認識・秩序づけられた経験・論証的認識・行為・情念・道徳・儀式の七部に分れて、併せて八十一章からなる。その風格は次の一二の例から知ることが出来よう。一一〇頁、「神が飛翔の為に翼を作った、と言って安心している人の精神にはただ言葉が在るだけだが、もしその人が、どういう工合に翼が飛翔の為に有効かという事を承知しているなら、所謂諸原因を極めて物を理解している事になる。」之は目的論と因果関係とを有効性というもので結びつけた説明で、そんなに平凡な説明でないことは、知る人ぞ知るであろう。
又一三四頁、「暇の時に人々が出会うと、めいめいの考えを交換するものだが、この交換は言ってみれば、既知の諸公式に依って行なわれるのであって、精神は高々言葉を楽しんでいるだけだ。……様々な記号を確めてみる事に充分幸福を感ずるという人々のこの会話なるものに、古い時代の名残が見える。」会話=暇つぶし=娯楽というものについて反省させるに足る示唆だ。
併し困るのは「公衆」についてという項の類である。「文字通り服従するとは不正な力を支配し処罰する一つの方法である。」「暴君は許すことが好きなものだ、寛大は王権の最後の手段である
前へ
次へ
全273ページ中16ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング