門の評論家も容易に追随出来ぬ底のものを含んでいる。「トゥルゲーネフの生きかた」は彼の階級的制限を説く点で教える処が多く、ゴーリキーに関する三つの評伝(尤も多少重複しているが)は、伝記として面白い。「ジードとそのソヴェート旅行記」は、ジード批判の一つとして記録される価値がある。「『或る女』についてのノート」は多少資料的検討に基いた好論文である。
私は作家としての中条百合子に就いては、新しいモラルの実際的な探求者として、作家一般(独り婦人作家に限らず)の内の白眉の一つと考える。世間で必ずしもそうは思わぬらしいことは、私にすれば一つの不思議だ。処がこの評論集は、評論家としての中条百合子氏の位置をハッキリと決定するものだと思う。物ごとを分析的に考えながら感情を整理出来る人は、作家一般の内で珍しいと思う。氏の合理的精神とでもいうものが、或いは文壇の地膚に合わぬかも知れない。だが夫は広い世間からすれば何等の問題でもないことだ。
ただ評論家としての中条百合子氏は、テーマをもっと婦人問題、女の問題、からつき離す必要があるだろう。評論が身辺随筆の名残りを止める限り、そして彼女が女である以上、この女ら
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