煤uフランツ」に傍点]・ベーコン[#「ベーコン」に傍点]としたりするのも気にかかる。なぜこうドイツ語から一種の直訳を敢えてするのだろう。読者に不親切な訳文と不注意からくる誤植は眼にあまる。――だがこういっても、こういう本の訳の出ないよりは、とに角出た方がいいということは、素直に一般的に強調しておかねばならぬ点だ。多分訳者は文筆上の経験の深くない人と思うが、もう少し時間が経ってから訳を直して見たらばキッと良くなることと思う。
 こういう場合、世間の自称篤学者達は何かというと訳者の「学的良心」といったようなことを口にしたがる。それも無論必要なことに違いはないが、併し翻訳者なり著者なりの仕事の全体から切り離して、又出版屋の資本上の制約からも抽象して、単に之やあれやの書物の出来栄えで人間の「学的良心」を云々することは、全く世間を見る眼を持たぬ非常識だ。『思想』(一九三四年)七月号で畠中尚志という人が斎藤※[#「日+向」、第3水準1−85−25]氏のスピノザ全集の訳を根拠として、斎藤氏について例の「学的良心」を疑っているのも亦、そういう場合の一種ではないかと疑われる。そこでは旧いオランダ語のテキストが問題になっているので、私には内容については全く何の意見も持てないが、仮に畠中氏の指摘した斎藤氏の誤訳や悪訳が全部畠中氏のいう通りにしても、斎藤氏が次号の『思想』で与えている返答の方に依然「真理」があると思う。『思想』の編集者諸氏はこの点どう考えるか。
 古典の翻訳で一寸注目に値いする毛色の変ったものはJ・S・ミルの『社会科学の方法論』(伊藤安二氏訳・杉森孝次郎氏序・敬文堂版)だろう。これはミルの百科辞典的代表作『論理学体系』のモーラル・サイエンスに関する部分(第六巻全体)を訳出したもので、ブルジョア社会科学論の上では極めて大切な古典の一つであることは能く知られている。この本が現在持つべき意義に就いては、必ずしも杉森氏の序文に同意出来ないとしても、この頃読まれていい本の一つだと私は思う。訳も中々良い。
 やはり部分的な訳出だが、ディルタイの『近世美学史』(徳永郁介氏訳・第一書房版)は甚だ手頃な便宜な好訳である。これは全集の第六巻の内「近世美学の三画期と今日の課題」(一八九二)の全訳で、訳文も嫌味のない達文だし、訳注の親切なのも有難い(なお同氏にはE・ウーティツの『美学史要』の訳もあ
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