の意見が読者の前に並べられつつ或る程度まで整理されて行くという、対話[#「対話」に傍点]或いは寧ろシュンポジション[#「シュンポジション」に傍点]の形を持っている事だ。実際やったディスカッションをそのまま本にしたもので、日本の本としては極めて珍しいものだ。単に珍しいだけが勿論能ではない。この形式が齎す長所は、読者に対して著者の往々不用意な見解を押しつけずにすむという事、そしてどの点に多くの疑問があり、どの点にはもはや大した疑問がないかということが、読者におのずから判るということ、従って読者は一方に於て安心して信頼しつつ読めるとともに、著者達の異論を比較検討しつつ読むので、みずから考え方を練りつつ独自の見解をそこから導き出し得るということ、そうした処にあろう。特に自然弁証法のような多くの問題を蔵しているテーマについては、今の処、こういう書き方の方が、科学的に慎重だとさえ云えるかも知れない。
 前篇「自然弁証法史」と後篇「自然弁証法概論」とからなり、前篇は主としてAと名乗る吉田氏、後者は主としてCと名乗る岡氏が、原案提出者として筆を執り、AとCはBと名乗る石原氏と共に、之を審議するという形になっている。前篇はドイツに於ける自然弁証法の確立(ヘーゲル・フォイエルバハ・マルクス・エンゲルス)(エンゲルスは特に詳細でデューリングの解説にも触れる)、ソヴェートに於けるその発展、日本に於けるその展開、の三章からなり、今までなかった可なり役立つ史的叙述だ。日本に於ける自然弁証法の文献も亦便利なものである。この篇は比較的ディスカッションは少なく、寧ろ普通の叙述体に近い。――最も特色のあるのは後篇で、特にC氏に対するB氏の批判が目立つ。ここでは所謂自然弁証法なるものに含まれる根本問題とトピックとが一通り尽されているが、皆が皆まで終局的な解決の形を取っているとは限らない。最もディスカッションに興味のあるのは例証[#「例証」に傍点]の問題と「自然弁証法の具体化[#「具体化」に傍点]」の問題とだ。これ等の問題に通ずる大体の傾向から云って、Cは自然弁証法なるものの力点を科学的認識の総合という点におこうとするに反して、Bは之を自然観[#「自然観」に傍点]という点におこうとする。そしてAは之を自然科学概論[#「自然科学概論」に傍点]に近いものと考える傾きがあるようだ。勿論三者とも自然の運動発展の一
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