ので、なぜ悪いかを筋道を立てて説明することが出来ないではないか。
 さてここまで来て明らかになる一つの関係を注意しなければならない。実際、道徳位い批判するに容易でないものはないのである。水準の低い人間は最も容易に一切のものを道徳による批判[#「道徳による批判」に傍点]に還元して了う。戦争することは善いことか悪いことか、神社に参拝することは善いことか悪いことか、小学校の児童はすぐ社会問題をこういう道徳問題に還元する。修身教育がそういう子供の態度を養成するのである。だがこの最後の判断の転嫁の地である道徳そのものは、一向判断の対象になり得ない。――それは他でもないのだ。ここで云う道徳なる常識物は、何よりも科学でない[#「科学でない」に傍点]という規定を有っているのである。理論的な分析を放擲するということが、子供が一切の問題を善いか悪いかに還元する所以なのであり、そして夫が同時に、この「善い悪い」自身が常識によって問題にされ得ない所以なのだ。「善い悪い」は善いか悪いかを問う限り、もう問題は残っていないのが当然だ。常識による道徳[#「道徳」に傍点](夫はその建前から云って不変で絶対で神聖不可侵な
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