ことで誤りではないのだが(史的唯物論の不朽の功績の一つはここにある)、併しそれにも拘らずその場合にも、あくまで道徳に関する通り一遍の常識を利用[#「利用」に傍点]してそう云っているのであって、道徳なるものに関するこの場合の常識的想定そのものに就いては、なお問題を残しているのである。史的唯物論がそこで[#「そこで」に傍点]問題にしているのは(併し他の場合には問題がもっと変らねばならぬが)、所謂道徳なるもの(と云うのは「常識的に」道徳と呼ばれている処のもののことだ)が決してそれ自身絶対に独立した全く独自な原則に立つものではなく、実は社会機構に於ける下部構造の上に建てられた処の、そしてこの下部構造を原因とする一つの結果としての、上部構造の一部分に他ならぬ、ということであって、この所謂道徳なるものが実はどういう含蓄を有つものであるかは、その限りではしばらく論外におかれているのである。
 従って、道徳がそうした何か判り切ったような一領域であり、他の諸領域との区別限界などが初めから知れ切ったものであるかどうか、それはまだその限りでは問題ではないのだ。つまり史的唯物論が道徳に対して、そのイデオロギー
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