的――理論とはならぬ。ニーチェやシュティルナーなどの自我思想が文学的特色を有つのは、広義に於けるそのスタイルの問題には止まらない。
さて私はどうやら道徳・モラルの問題に帰ることが出来るようだ。以上に述べた科学的概念と文学的影像との関係、科学と文学との関係、の内に、モラル(文学的観念による道徳)なるものが横たわるだろうからだ。
モラルとは自分一身上の問題であった。尤も之は何も個人道徳[#「個人道徳」に傍点]を意味するのでもないし、又道徳が個人的なものだというのでもない。個人が自分[#「自分」に傍点]と別だということは既に述べた処だ。寧ろモラルは常に社会的モラルだ。社会機構の内に生活する一人の個人が、単に個人であるだけでなく正に「自分」だということによって、この社会の問題は所謂社会問題や個人問題としてではなく、彼の一身上の[#「一身上の」に傍点]問題となる。一身上の問題と云っても決して所謂私事[#「私事」に傍点]などではない。私事とは社会との関係を無視してもよい処のもののことだ。処が一身上の問題は却って正に社会関係の個人への集堆の強調であり拡大であった。社会の科学的理論の体系も亦、こ
前へ
次へ
全153ページ中144ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング