徳を単なる社会関係そのものに還元して了うことではない。もし之を単なる社会関係に還元して了ってよいなら、初めからイデオロギーなどというもので道徳を云い表わす必要はなかった筈だ。イデオロギーは下部構造としての単なる社会関係に還元出来ない上部構造であったればこそ、特にイデオロギーだったわけだ。
だから道徳には道徳に固有なものが存するのである。之がなければ道徳は道徳にならぬ。そしてその固有なものと云うのが社会規範ということだ。道徳に固有なものと云っても、夫が何か道徳という一定の封鎖された埒内だけで独自に孤立的に片づくものだと考えるならば、そういう封鎖国家のような倫理的アウタルキーが、例の倫理学でいう「道徳」の世界だったのだ。そんなものは道徳の固有性を倫理学的[#「倫理学的」に傍点]に誇張した偏見に過ぎない。決して固有なものがないというのではない、その固有なものをこういう風に理解することが根本的に誤っているというのである。――道徳には善悪の価値対立というような固有なものがある。それは一つの事実だ。少なくとも人々が自分も他人もそういう価値感を以て行動しているという一つの心理的事実だ。意志の自由が
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