支那で扶養者を意味する)。この権力を承認することがこの社会の経済的秩序を維持するために必要で、そこに生じるものが一連の家族主義的道徳観念や道徳律なのだ(F・エンゲルス『家族・私有財産・国家の起源』はこの場合依然として古典的意義を持っている。――家族感情の科学的説明としては、R・ブリフォールト「家族感情」――青山訳『国家及家族感情の起原』の内――や、コロンタイ前出書などが参考となる)。
 社会秩序・身分関係は、つまる処権力関係として現われるが、そこに一定の尊敬[#「尊敬」に傍点]の体系が、そういう礼俗[#「礼俗」に傍点]が、発生する。人格に就いての現実的な観念も(人格はカントも云う通り尊敬の対象目的物だが)ここに初めて成立するのである。処がこの夫々の時代に一般普通の世間に通用する筈の礼儀風俗が、実は社会の生産関係や之に依存する家庭経済の直接の反映であることは、特別な場合に、例えば家庭経済上の破綻などに際して、著しく身に応えて判るのであって、つまり妻を養うことの出来ない夫が威張るというようなことほど、立派に道徳的で而も滑稽に見えることはない、というようなわけである。わが国の封建的武士階級支
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