として自覚され、倫理学などが発生するのは、一般に社会変動と夫に基く思想的動揺とに照応してのことなのだ。近代ブルジョア倫理学の発生も亦そうなのである。
前にも云ったが、近代倫理学はイギリスのブルジョア倫理学として発生し又発展した。その直接の源をなすものはトーマス・ホッブズであった。ホッブズに先立つエリザベス時代は、イングランドがヨーロッパ[#「ヨーロッパ」は底本では「ヨーロョパ」と誤記]に於ける制海権を握り植民地貿易企業には莫大の利潤をあげ得た、商業資本主義の大規模な発達時代であった。当時の海外貿易会社は一〇〇割の配当をなし得たとさえ云われている。尤もこの点ルイ十四世治下のフランスでも大した差はなかったのだが、併しイングランドに於ける特色ある一事情は、新興ブルジョアジーの早い発達が容易に地主貴族の利害と結合出来たという点に存する。だから反封建的なノミナリズム的な経験論的機械論(之が近世ブルジョアジーの本来の世界観であった)が、絶対君主主義などと理論的に結合することも強ち不可能ではなかったので、恰もホッブズの倫理思想は、そうした場合に相当するものに他ならなかったわけだ。
ホッブズの倫理説は、人間性[#「人間性」に傍点]の検討から始まる。と云うのは、人間の情念(Passion)の分析から始まる。人間の情念は精神の機械的運動に他ならないが、一般的な情念としては愛好・欲求(索引運動に相当する)と苦痛・憎悪・恐怖(反発運動に相当する)とが対立している。その根柢を貫くものは権力と名誉との欲望だ。それ故人間は元来一人々々夫々皆第一人者となろうとして競争と闘争とをなしつつあらざるを得ない。所謂「万人が万人に対する闘い」である。各個人はその自然状態に於ては、キリスト教的伝統観念とは反対に、自己保存と自己増殖との欲望によって動かされる野獣か狼に他ならない。こうして各個人は無限の権力を欲するものなのだ。その際、善[#「善」に傍点]とは銘々が自分に気に入った都合のよいこと以外のものでなく、夫が各個人にとっての正義[#「正義」に傍点](法)というものに他ならぬ。第一の善は自己保存であり、第一の悪は死ぬことだ、とホッブズは主張するのである(読者はここに、道徳の問題が人間性の問題から善悪の標尺の問題へ移行するのを見るだろう)。
処がこの自由状態に於ける各人は、お互の反目猜疑抗争が、銘々の生存
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