が、お筆先ではお話しにならぬからインチキだという種類の区別だろう。しかし無論、文相達は、宗教の文学的価値などに思い及んだことはあるまいから、これは今の問題にはならない。
 ところで松田文相は、「宗教の健全なる発達」のために、宗教団体法を制定しようと欲しているのだから、思わざるも甚だしいものだといわねばなるまい。「物質文明の幣竇」を矯めるための宗教は、いうまでもなく徹底した精神主義[#「徹底した精神主義」に傍点]の他にはないはずだ。ところがこの徹底した精神主義は、取りも直さずいわゆる邪教に如くはない。ところが文相らは、一方において宗教の健全な発達を欲しながら、他方において、邪教の撲滅策を講じているのである。これは何かしら宗教の効用を少し誤算していることだ。
 それはさておき宗教の社会的効用には、松田文相その他が見るところのものより、遙かに深遠なものがあるのである。それは現代社会の鏡だ。そこには現代社会の姿がありありと(裏がえしにだが)写る。でいわゆる邪教も、ただ単に邪悪な信仰のことなどではない。それは偶々「タチが悪く」「ヒトの悪い」鏡なのである。だからたとえば大本教の如き、その内容を少し
前へ 次へ
全451ページ中385ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング