などということは、全くの譫言《たわごと》にすぎまい。――で中等学校の入学試験の必要は、社会全体の合理的な計画的施設として生じているのではなくて、現代社会の云わば全くの自然現象として生じているのであるということを、記憶せねばならぬ。教育施設の全社会的な合理的統制からではなくて、教育施設の或る意味でのレーセ・フェールから生じるものが、今日の入学試験の要求である。
この点判り切ったことだとも云えるが、併し之によって、単に入学試験準備だけでなく入学試験そのものまでが一種の社会的罪悪であるかのように見做され易い理由を、説明出来るだろう。つまり之は、自由競争が社会的に信用を失いつつあるのと同じような理由に基いているのである。そこで入学試験そのものが一種のバーバリズムであるかのような気持になり、入学試験否定論も発生し得るわけだ。小学校からの成績申告書を専ら利用することにしたらばどうだろうかとか、入学願書受付順に入学させろとか、抽籤で入学を決めろとかいう思想も、ここから発生するのである。云うまでもなく之は、入学試験準備の弊に耐えなくて始まった工夫なのだが、併しいつの間にか、入学試験そのものの否認を動
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