少なくない。すでに述べたゾンバルトの『奢侈と資本主義』など、とに角注目すべきものだ。――併し風俗は他人の風俗であるよりもまず自分自身の風俗でなければなるまい。そうなると之は趣味[#「趣味」に傍点]とか好み[#「好み」に傍点]とか云った安価なようなものになるが、併し趣味や好みは良心の端的な断面で、認識や見識や政治的意見さえのインデッキスになる。吾々は理論や主張に濁った不審なものを持っている人間を警戒しなければならないが、之は証明の限りではなくて実は一種特別な趣味判断によるらしい。風俗はモラルの徴表だ。
 でこうした意味にまで深められた立場から見た風俗は、文学的な意味に於ける風俗だ。その意味での趣味も亦、文学の本質だとさえ考えられる(シュッキングなどは問題ではあるがとに角そういう主張の見本の一つにはなる)。無論風俗は吾々が旅をして世界の人情風俗を見聞して見たいと思うように、客観的なそして末梢的でさえある肉づけを持った具象物だ。而も夫がモラルの徴表なのである。モラルの感覚的・物的・分泌物が風俗だ。――私は文芸評論の一つの観点として、風俗描写というものを強調したいと考える。今云ったような意味で
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