求に適しているとすれば、嫁入り前の娘をかかえた親達は、もう何も云うことはなくなる筈である。キネマやレヴューも今日では最大の女性教育機関である。校長先生の人格を以てしても一ターキーのサインやディートリヒのイットの教育的威力には敵わないのだ。封建武家の生活からの伝統にすぎない各種のお作法やお行儀も、洋装の制服の前には滑稽なファースにしか過ぎなくなる。実際このおかげで娘達の脚は急速に長くなったのであり、それから見ると彼女のお袋達のヨチヨチあるきは醜悪で不作法なものとなった以上、誰ももはや之を非難する勇気を有たない。体育やスポーツ(体育とスポーツは元来別で特に或る政治的な必要の下にのみ一致させられているが)に於ける女性の進出は、女性教育の成功でこそあれ、女性の堕落だとは誰も云うまい。
 だがこうした女性の教育上に於ける進歩は、反動的な日本の教育者にとっては、その三分の一は意識的意図に基いているが、残りの三分の二の半分は無意識的なものであり、あとの方の三分の一は全く意図に反したものに他ならない。つまり女性は支配者の教育方針とは半ばは独立に、自分で自分の教育を行いつつあるわけなのだ。そして女性教育
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