も夫に逆いて天の罰を受べからず」。かくて女は夫を主君とする封建的家庭の人的労働用具に他ならぬ。人的労働用具乃至労働力は最も経済的でなくてはならぬ、「下部あまた召使とも万の事自ら辛労を忍て勤ること女の作法也」、「朝早く起き夜は遅く寝ね昼は寝ずして家の内のことに心を用い織縫績緝怠べからず又茶酒杯多く飲むべからず歌舞伎小唄浄瑠璃等の淫たることを見聴べからず」云々。
 福沢諭吉が『女大学評論』と『新女大学』で之を一々批判したが、日本の資本主義が帝国主義の段階に入り金融資本の要求の下にファッショ化しても、この点は根本的には改められない。否ファッショ化の下には却って日本の女性は支配者の手によって実に無謀無責任にも、愈々家庭化され封建化されることになって来たのである。結婚難(之は男性の就職難に随伴する現象に過ぎない)という資本制の矛盾は、女性を封建家庭化することによって救済されるかのような神話が作り出される(花嫁学校)。女性の知能教育として意味のある女学校の英語を廃止せよという議も生じて来る。職業教育を意味していた女子の専門学校は、最近入学者の数を著しく減少しつつある。失業者を家庭へ吸収させるために
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