と風紀警察とが、以上のように独特な結び付き方をすることの出来る検閲なるものは、一体文化警察や風紀警察自身が、公的社会的な者を取り締るべき本来の政治警察権のコースから離れて、相当勝手に私的個人的な世界にまで踏み込むものだったのだから、可なりの解釈の自由・寛厳の手心・が予定されているわけで、それだけアービトラリな主観的なものに根拠を置いていることになる。検閲に就いての悶着はいつもここから発生するのである。
 治安維持法と出版法とに連関して、現下の思想検閲が、どんなに重大な役割を演じているか、改正された出版法や、やがて改正されるに相違ない治安維持法其の他によって、この検閲がどんなに絶大な偉力を発揮するだろうかは、今更ここで説明するまでもない。検閲制度をこのようにヒステリカルに強調するのは、思想検察という文化警察権の、例の無限界な私的化という事実と、それに基づいて勝手な主観的適用が出来るという事実とを、利用したものであって、この頃では警察権のアクセントの置き所の一つが段々ここに集中して来るにも拘らず、それだけ警察権は本来の政治警察的なコースを踏みはずして行くという一般傾向が、之で以て最も著るし
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