を生じる筈だ。ニュースでもよい、時評でもよい、エッセイでもよい、学術論文でもよい、とに角夫が、時代の動き行く「思想」を解明するに足るような内容として[#「として」に傍点]掴まれている限り、そこに立派に総合の原則は見つかる筈なのである。――それが事実上、総合の実を挙げていないのは、筆者にも編集者にも、思想的評論[#「思想的評論」に傍点]を書くという観念が貧弱であるか、そういう訓練が乏しいか、であるからにすぎぬ。思想による統一こそ総合雑誌の総合点になっている。ただそれが徹底していないだけだ。そして論壇というものが何かと云うなら、こうした思想的評論の壇だと答えればいいわけだ。
そんなことは誰でも判っていると云われるかも知れぬ。だが判ってはいるかも知れぬがこれを確信している者は多いとは云えまい。「論文」という名義にひきずられてただの学術論文めいたものが書かれたり、そうかと思うと「科学」の名にかくれて、科学セクション式に仕切りに仕切られたベア・ファクトが出ていたり、一体思想はどこへ行ったかと云いたくなるだろう。之は論壇ジャーナリズムの歪曲でなければ低落と云わねばならぬ。
三[#「三」は
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