いわけである。
 杉村楚人冠は月刊総合雑誌が一方において月刊単行本の観があり、他方に於て月刊時事新聞の観があるのを、総合雑誌の「超総合」の性質が齎す危機だとし、週刊と季刊とに分離するのが今後の着眼点だろうと説いている。一応尤もであるが、併し一方月刊単行本であり、他方月刊時事新聞でもあるという性質こそ、今日の日本の総合雑誌の「総合」雑誌である所以であって、それが単行本でも日刊新聞でも充されない読者の要求を充すというので、之まで売れて来ているのである。実際、単行本の多くは全く時期性を欠くし、日刊新聞では要約と見透しを欠いているからだ。
 原則論と時事論とが同居していることが、総合雑誌の危機の原因ではなくて、その総合[#「総合」に傍点]なるもの自身に何の統一も中心もないことがこの危機なるものの本質だ。そしてこの危機は、論壇なるものがあやふやな存在現象であることと、直接関係のあることなのである。

   二[#「二」はゴシック体]

 例えば一九三六年の九月号なら九月号にのせなければ時宜を失するトピックがある。取引所惑乱問題やオリンピックの話が之である。又九月号に載せておく必要のあるトピックも
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