題を直接のキッカケとするものであったのだが、こうした宗教復興運動は、資本主義社会の有望な発展に勇気づけられたものや何かではなくて、正に日本が之に愴惶として善処(?)しつつある処の資本制の断層化の所産であり、且つ又夫が、その断層化を観念的に蔽いかくすための社会政策の意義を持っていることを、今日知らない人はない。
 所謂宗教復興現象の現われ方は、本来色々あり得るわけだが、今日のは、主に仏教徒僧侶達が、ジャーナリズムの上で、社会の安価な知能分子を動かすという形で現われている。そのためには、旧来の[#「旧来の」に傍点]仏教を打倒して、現代に相応わしい活きた真理ある仏教を弘布せねばならぬ、というスローガンを掲げるのであって、之によって一見宗教批判[#「宗教批判」に傍点]の役目も果すらしいと共に、そうした宗教批判に堪え得る「本当の」宗教を再建しようとする本来の意図をも満足させることが出来るだろう。だから一頃宗教批判のごく端まで、即ち唯物論のごく端まで歩みよっていた幾人かの名を知られた宗教批判者達は、この時とばかり宗教復興運動に飛び込んで了ったのである。――ジャーナリズムの上に現われ精神薄弱なインテリゲンチャを動かす所謂宗教復興は、実は宗教復興でも何でもなく、まして宗教的真理の建設でも何でもないのだが、併しこの現象は現下の日本にとって避けることの出来ないもっと根本的な宗教的痙攣の一つの余波、と見做させるだけの意義はあるのである。この宗教的痙攣は云うまでもなく唯物論の宗教批判に逆襲するためにやる宗教の身振りに他ならない。
 唯物論の側からする宗教批判の組織的活動(無神論[#「無神論」に傍点]又は反宗教闘争[#「反宗教闘争」に傍点])は、今日の反動時代に於て決して盛大だと云うことは出来ない。見方によってはそうした組織的な活動は行なわれていないとも云えるかも知れない。処が実は今日、唯物論による宗教批判の活動は断片的であるにせよ、相当日常常識化されて、次第に大衆化しつつあるということは多分否定出来ない。宗教の欺瞞はいつまでも大衆の眼を蔽うことは出来ないからだ。そしてその破綻は例のインチキ宗教現象ともなって現われているのである。



底本:「戸坂潤全集 第四巻」勁草書房
   1966(昭和41)年7月20日第1刷発行
   1975(昭和50)年9月20日第7刷発行
※誤植の修正には、伊藤書店版(1948年)、三笠書房版(1936年)を参照しました。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:矢野正人
校正:小林繁雄
2001年8月23日公開
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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