にまで、改正しようというのである。
問題は修身[#「修身」に傍点]にあるのだから、該法文で規定された目的を有つ秘密結社やその外廓団体に這入っていなくても、即ち組織に這入っていなくても、個人の日常の行儀に不埓なことがあれば、この修身教育教程に触れるわけである。国体変革及び私有財産制度否認の「宣伝」をするものは処罰されねばならぬ。気狂いでもない限り人間は滅多に独言などは云わないもので、口を開けば、それは自分の信念を他人に向って力説するためである。論理学では、命題というものをそういう意味に取っているのだ。処が社会学的には、これが即ち「宣伝」に外ならない。そうすると、この法律は、余計なことは云わずに、大人しく黙っていなければいけないぞ、という有難い家庭的な教訓でなければならない。
法律が道徳に基くという法理学者の説は本当である、それから、道徳は修身だという倫理学者や教育学者の説も本当である。道徳家や人格者は決して、こういう治安維持法などには引っかからない。五・一五事件などがこの法律と無関係なのは、被告が一人残らず人格者だからだろうと思う。
法律が階級的用具として偏向して行かずに、倫理化[
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