だというよりも、寧ろ自分で子供に試験準備をさせている当の親達の意識から出た言葉なのである。年はも行かぬ頭の柔かい子供達を不自然な残酷な準備に駆り立てながら、そうすることが、不可避な必然性と、客観性とを有っているということを知っている親の目には、之は全く地獄の名に値いする。誰も地獄に墮ちたくて墮ちるものはないのだが、墮ちざるを得なくて墮ちるのが地獄の神学的な意味ではないか。で、受験者は当の子供なのだが、受験責任者[#「受験責任者」に傍点]は、受験の責任を最も直接に感じるものは、却って親達自身なのである。苦しめた者が自分であって見れば、それだけ成功させてやりたいというものではないか。
 子供の方は場合によっては案外試験を気にしていないかも知れない。親達がある学校を受けろというから受けて見るので、受験責任者は親達の方だと思っている子供も少くないかも知れない。とに角一等心配しているのが親達だということは平凡なようだが見逃すことの出来ない一つの事実である。そうしてこの事実は年と共に著しくなって行く。この頃では中等学校の入学試験ばかりではなく、帝大の入学試験にまで、大きな子供(?)につきそってやっ
前へ 次へ
全402ページ中313ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング