総長の具状は教授会の協賛を必要とするという習慣法を無視することも、不法だというのである。一体今日では伝統を無視するということそれ自身がすでに危険思想ということになっているが、時の文部大臣奥田義人が認めた京大の模範的伝統を蹂躙することは、文教の府として、それ自身引け目を感じることである。まして勅令違反の嫌疑まで受けては、文部省もジッとしてはいられないだろう。法制局に相談して見ると勅令違反にはならないそうだが、京大の法学部全体が一人残らず違法だと云っているから、世間の無知な蒙昧な人民達はどっちの言い分を信じるかあてになったものではない。
人から借りて来た権威というものはツクヅクあてにならないものである。ドンなに身辺を見廻しても、思わしい合理的な論拠は見当らない。だから京大法学部に対する反対声明書などは、なまなか出さない方が好いだろう、ということになるのである。
理由を挙げたり声明書を発表したりするのは、理論だが、文部省はどこにも合理的な理論を見つけ出すことが出来ない。――だが政治には、別に理論などはいらない。理論は抜きにしても有力な説得力のあるものがある。×××はそういうことをチャンと
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