害学童へ七十万円の食事・被服・学用品・の復興費を予備金から支出したが、子供はそれでいいとして大人の方はどうなるのか。
 世間の人達は仲々皮肉に出る。こうした復興の欠陥の非を打ち鳴らす代りに、為政者に対する面あてとして、直接罹災者の人間自身に同情の涙をそそぐのである。上は富豪・新聞社・諸団体から、下は一介の匹夫匹婦に到るまで、金銭や物資による救助を惜まない。して見ると生活自身の復興は、専ら社会の麗わしい隣人愛に放任されている訳だ。無論こう云っても、同情は確かに道徳的だ。
 最後に、同情に就いての一つのエピソードを読者は思い起すだろう。パパママ論で、男を挙げた松田文相は、モダーン生活や小市民生活に対しては極めて同情能力の乏しい人のようであるが、丁度×××や×××型の「豪傑」が常にセンチメンタルであるように、涙脆いという意味では、仲々同情に富んでいる人のようである。京阪地方の風水害罹災学校を視察しながら、手ずから負傷した児童をいたわってやったり何かしていた文相は、児童への同情が昂じた余り、四十一名もの災死児童を出した京都西陣小学校で、児童を横のコンクリートの建物の中に避難させなかったのは明ら
前へ 次へ
全402ページ中279ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング